1月29日 再検査

2週間ほど前に、乳がん検査にクリニックを訪れた。
それはかなり前からしこりを感じていたから。とてもこわかった。でも、直感的にこれ以上引き伸ばしに出来ないと思っていたのだと思う。
普段私は病院がとても嫌いで、風邪を引いても行かない。
腎盂炎を患ってから膀胱炎になりやすいが、それも何とか薬を飲んでしのいできた。

今回の胸騒ぎは、当たってほしくなかった。
はずれを期待して、はずれを確定させるために病院にいった。

しかし、結果は「細胞検査に行ってください」とのこと。
泣いた。その時点で泣いた。
そして1月29日、昨日。再検査に行ってきた。母も付いてきてくれた。


再検査は最初マンモグラフィからだった。
初回の検査ではエコーだけだったし、マンモは初めてだったのでこわかった。
脇の肉まで挟みこんでの撮影。
「きれいにとれてますよ〜」
撮影の担当技師、話術もうまい・・・。
きっと怖がる人が一杯いるんだろうな。かなり和ませてもらった。

そして先生のところへ。
「・・・多分これは腫瘍だと思います。」

・・・。

乳腺炎の石灰化と腫瘍が見られます。おそらく手術が必要です。その後は抗がん剤治療が必要です。場合によっては放射線治療も必要です。」

ちょ、ちょっとまって。

「この状態では細胞の検査が必要です。リンパにも腫瘍が見られます。こちらは手術の際に開いて見ないと分かりません。術中に検査しますので−−−」

だからちょっとまって・・・。

「今から細胞を取ります。横になってください」
「麻酔します」

バチン。

細胞を取られた。

未だ信じられなかった。
先生の前で涙が溢れてきた。
「先生、胸がなくなるんですか・・・」
母はそのとき、私のひざをつかんだ。無言で全摘を進めていたと思った。
「温存の方向で行きましょう。それが希望なら。」
母は驚いて先生のほうを見ていた。
「温存のほうが患者さんのやる気が出る。なにより今は再生技術が進んでいるし、温泉に行かれている患者さんもいる。だからとにかく、がんばって治しましょう。必ず治るんです。大丈夫。」

私はこの先生はいい先生だと思った。

しかし、転移の可能性もあるらしく、今度CTで全身を撮影する予定だそうだ。

「お子さんはおられます?」
「はい」
「ああ、よかった。抗がん剤を打つとねぇ。お子さんが出来ないんですよ。」
「・・・」
「でもね、お一人でもおられるなら。ね。」


昨日あったことを書いている今も、未だ信じられない。
自分の身に起こってることとは信じられない。
もうすぐ自分の胸がなくなるなんて信じられない。

私の人生はもう終わってしまうかもしれない、ということより、女として終わったと思った。
抗がん剤を打つと、閉経するらしい。
一時的か、一生か、未だ分からないけど。おそらく後遺症として長くかかるんだろう。

まだわたし、34歳なのに。
女として、34歳で終わった・・・。

母と一緒にいる間は、ずっと泣いていた。そして、母から話されるその言葉すべてが、腹立たしかった。
母はどうしていいかわからなかっただろう。母も一生懸命してくれたけど。

病院から帰って、一人になって、amazonから本が届いていた。
実は数日前、ガン闘病のための自然治癒に関する本を買っていた。
むさぼるように本を読んだ。
それから保険会社に電話して、ガンのため保険を使いたい趣旨を説明した。手続きしてくれるとの返事だった。

それから、疲れて寝た。

目が覚めると、息子が帰ってきていた。
息子はおなかをすかせていたので、店屋物を取った。
私は遅い昼食でおなかはすいていなかったが、息子の手前とることにした。

息子には言わなければいけない。
でもガンだといいたくない。
かあちゃん、病気みたい。手術しないといけない。でも必ず返ってくる。待っててくれる?」
「・・・うん。」

息子は自分の机から、大切にしているカードを大量に出してきた。
これは彼のいつものお呪い。
「手術から帰ってきたら、返してね」
私が旅行に行くときも、このおまじないをする。
これは二人の約束。

息子がこんなに愛しいとは・・・。
二人で抱き合って、私はずっと泣いていた。


ひとしきり作業が終わった後に、ついったーに向かった。
「今日はとてもつらい一日だった。自分の人生が信じられなかった。これからどうしていいのかわからなかった。逃げたかった。」
いつもの人も、そうでない人も、たくさんリプライをいただいた。
やっぱり声をかけてもらうとうれしい。
がんばってって言われたい。

このときに思った。
人は孤独では戦えない。
「ゆかさんっていう存在はかけがえの無い、大切なたった一人。みんな、一人一人がそう。弱さも強さもあわせ持っている。」
この言葉が象徴しているように、本当に救われた。
「私たち、寄り添って生きてるんですね。弱さを庇い合い、強さを共に発揮するために。」


このときブログを立ち上げようと決心した。
私は孤独になりたくない。
助けてほしい。
そして、もし今孤独に闘病している人がいるならば、このブログをきっかけにつながっていきたい。そう思いました。

正直かなり悩んだけど、やりたいことはやるべし。
そしてどう思われるか心配したし、こわかったけど・・・女は度胸だ!
どう思われても、伝えたいことを伝えよう。そう思いました。

がんばる。そしてがんばれ。私と同じみんな。

今日から、とにかく出来るだけ記録していきます。
読んでいて嫌なこと、つらいこともあるかもしれません。
でもできるだけ付き合ってください。

私とあなたの物語が、始まりました。