息子の誕生日

2月9日は肉の日ではありません。 息子の誕生日です。 この1年間、私は闘病してきたけれど、彼も一緒に闘ってくれました。 寂しいこともたくさんあったと思います。 思えば、髪の毛が抜けた衝撃、抗がん剤の苦しみ、体調の不良、生活の不便など、彼は色々なことを見てきました。 彼にとっても、私の闘病が糧になってくれたらうれしいなと思います。 母のわがままにつきあってくれた息子は、11年前に産まれました。 たった11年ですが、彼は立派な大人だと思っています。 私を優先してくれ、時に我慢し、優しさを発揮する天才です。 これからもよろしくね。

体の力み

体の一部が無くなると言うことは、それだけでバランスを崩すようだ。

胸が減ってまず一番感じることは、その重さである。
手術後の組織の確認をしたのだが、そのときに思ったことはよくこれだけの肉が中に入ってるもんだな、ということ。
案外胸って中身が詰まってる。
皮膚をきっているので、そこがどうしても突っ張る。多分これは皮膚だけじゃなくて、中の組織もきって縫っているから、その分が突っ張っているんだろう。

バランスは左右さも大きいが、案外前後のバランスも大きい。
姿勢は一気に悪くなった。これはあるべき組織がないのでその穴を埋めようと姿勢が悪くなっているのと、突っ張っているのと両方だと思う。

腕の動きはリハビリのところで書いた通りずいぶん改善されたのだが、どうしても後ろに回せない。
組織が無くなり、突っ張っていることもあるが、これは多分動かしていないことが大きいように思う。
痛いので徐々に稼働域が狭くなっている。稼働域が狭いと思っているから余計動かさない。そういう悪循環があるかも。

そして、組織がないことで一番困ることは、体がリラックスしないこと。
やはり全体があってこその「まる」というか、動くことが可能なのとスムーズなのとは全然違うんだな。

腕だけが動かないのではなく、ものすごい肩こりが発生する。
あごもおかしい。
ちょっと腰も痛い。
力みを他の部分でカバーしようとしているから。

これは、ある程度補正下着などで対処も出来るが、再建するまでずっと悩むのかもしれないな。




リンパ浮腫のその後

リハビリの先生のところへ久しぶりに行ってきた。

リハビリだけは別のびょういんでみてもらっている。
私はこう言う点でラッキーだと思う。

この先生は全てを数値化して可視化してくれる。
リハビリはハッキリと「良くなった」と感じられるのだが、どこがどの様に良くなったと言えるかは、本人にしかわからない。
それをできるだけ数値化することで、いろいろと検証することができる。

私の場合、術後の腕の動き、腕のリンパ浮腫蜂窩織炎後の状態など、その時々で腕周りを細かく測ってもらえていたので、状態がわかりやすかった。

実は腕が太くなっている。
これは単に太っただけ。笑。

肉質や動き、どこらへんの皮膚がどう腫れているか、それらを総合的に見てもらい、いまのところ問題がなく、術後よりはるかに改善していることを診断してもらった。

乳がんは生存率も高い代わりに、標準治療後は自分でいろいろとコントロールしないといけないと思う。
(他のガンも同じだけど)
太ることはリスクが高くなるらしい。

ちなみに、ジムで体スキャンしてもらったら、私は腕と足にたっぷり脂肪がついているらしい。
内臓脂肪は少ないとのこと。
それだけでも良しとしよう。笑。


さあ、これからはしっかりと体を動かし、これまでよりも健康な体を手に入れたい。




手術痕

手術した胸は変形を続けている。
放射線治療で一時期腫れたようになっていたが、今はまたしぼみだした。
肉がないところは凹んでいる。

仕方がないとはいえやはり時々心が痛む。
健乳の自然なかたちと比べてしまう。

胸は意外と重く、左右バランスがおかしくなる。
背骨が曲がってしまうほどに。
だからおもりが必要らしいが、まだ胸のおもりは入れていない。

胸の手術痕に落ち込んでいたが、どうも私の胸の手術痕はかなり気を使って手術してもらったらしい。
確かに、乳がんの手術痕の写真を見たらちょっと違う。
こんな感じ。
分かるかな?
通常乳房に横一線切れ目を入れて中の腫瘍を取り除くのだが、私の場合結構な大きさにもかかわらず、一見縫い目が見えないように乳輪回りにそってメスを入れてくれた。
乳輪から上にも切り込みを入れ、皮膚も一部切り取っている。
皮膚にも浸潤している可能性があったからだ。(実際皮膚にも浸潤していたと思う。この事実だけでもかなり進行が進んでいたことが、後になってじわじわ理解してきた。)

胸のかたちは変形したが、実は主治医はかなり気を使って手術をしてくれたことが、後になって分かった。
乳頭近くの腫瘍にも関わらず、乳頭を残せるようにしてくれた。
(切り取るケースもあり)

主治医が「気に入ってくれると思うけど」と自信ありげに言ってたのはことことか…!
と、かなり後になって気づいた。
ありがとう、主治医。

抜糸し忘れてたのはどうかな…と思ったけど、それを見たからこそ主治医の気遣いの縫い方(?)がわかったというか、他の外科の先生もそう縫われてると思うんだけど、「ふわっと」縫う技術が施されていた。
家庭科を習った人なら分かると思うが、最初に「玉結び」を練習すると思う。
一つ一つ、玉を作っていく。
ああいうのがいくつも乳首まわりについていた。これが「ふわっと」のポイントらしく、きれいに仕上げるにはこうするそうだ。
ナイロンの太い糸で縫い付けられてあったので、
「溶ける糸で縫わないのですか?」と訊くと
「あれは仕上がりが悪いから」と主治医は答えた。
美的によくないので、表皮にはあまり使わないらしい。(もちろん私の場合はであって、全てがそうじゃないと思う。)
しかし、中の筋肉の縫合には溶ける糸を使っている。
たしかに、手術をした胸を触ると、切ったであろうあたりの筋肉はかなり縫合後のふくれあがりを感じる。
(けがしたときに盛り上がったりするやつ。そんなイメージ)
そして、そこはまだ痛い。

当初は「がばっと取ります。がばっと!」の言葉に絶句し絶望したが、ガンは小さくは切れない。腫瘍をきってしまうと飛び散ってしまうから。
私は娘結節という、主腫瘍とは違うところにもしこりが後2つあり、結構な範囲の組織を取らなければならなかった。
そういうことも全く分からずただただ泣いていたが、手術直後から腕をあげれたし(直後に引っ張られた…)指も動くし(当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、当たり前のレベルであるってすごいと思う)、主治医は手術がうまいんだな、と改めて思った。

主治医曰く、外科は労働者、病理医や抗がん剤開発する医者の方がずっと賢いとご謙遜されているが、きっと病理医がガンであるか、どんなタイプかの診断を、外科医が慎重に場所の特定を決めて初めて手術できるのだろう。

手術前にどういう仕上がりかってほんとに想像ができない。
いくら他の人の写真を見ても、それが自分の体にどうなるかは一つとして同じ例がないと思う。

そして、私はやっぱり再建したいなと思う。
しかし、自家組織(お腹の肉)を使うとなると、また体に傷が残る。
シリコンだと保険がきかない。

まだまだ悩みどころがつきないが。
最大の関心事は次のCT。
再建手術も、再発、転移がなければ、の話なのだ。
無事にがんが見つからないことを祈るばかりだ。




放射線治療について (11月の勉強会)

今更感があると思うけど、去年の勉強会についての感想。
映像も合わせてどうぞ。 http://j.mp/gan2recY

去年11月の勉強会からずいぶんと日が経ってしまった。
が、本当に勉強になった。


どれも分かりやすく説明していただいた。
こういうのをもっと一般向けにするべきだと思った。

私が放射線治療を受けると決めたとき、親戚一同大反対だった。
「焼き切る、あんな物受けたら二度と戻らない。再建手術をしないつもりか」
被爆するのと同じ」
などなど。
主治医にこんな風に言われてますが、どうなんですかときいたら大笑いされた。
「あなた、昭和一桁のおばあちゃんよりひどいよ。」

まあ、今回の勉強会でもそうだし、自分が実際受けた治療でも思ったけど、時代はずいぶん変わってる。
しかし、主治医が言うには放射線治療のキーは専門医の設計と、その設計通り照射できる機械、そして機械を操作できる技師の3つがポイントらしい。
今回の勉強会でも、放射線医だけでなく専門技師、そして装置の説明は主治医の話を裏付けていると思った。

しかしこの放射線治療、やはり放射線だけあってかなりしんどくなる。
見た目は何も分からないが(日焼けみたいにはなる)、体はかなりダメージを食らっていると思った。


さて、今回の勉強会で一番印象的だったのは、緩和ケアに使えると言うこと。
放射線が緩和ケア?とイメージがつかなかったが、進行が進むと痛みが激しくなる。そのときにも治療として使えるらしい。
意外だった。
標準治療と一言で行ってもその治療はかなりバリエーションがあると思った。


癌になったら必ず慌てる。
だから、どんな治療があるか健康なときに知っておくことはとても大事だと思う。

YouTubeで勉強会の映像が見れます。 http://j.mp/gan2recY



良き支配者である以上の難事はなし

癌になってからおそらく一番変わった部分であり周りに一番理解されないことは、私の場合尊厳を奪われたことだと思う。
こういう風に書くととても大げさだと思われるかもしれないが、まさに尊厳そのものだと、時間が経った今でもそう思う。
ここで言う尊厳とは、癌によって人間としての存在の尊厳、女として生殖能力にダメージを受ける尊厳、治療に関して患者本人の意向を通し続ける尊厳だ。
人間として、女性としての尊厳が治療の選択肢を変えてしまうことが大いにあり、その選択肢に家族や他人に影響されることは仕方ないとはいえ、最終的に自分で決めなければならない。
どの選択肢を選ぶか、患者はとても苦悩し、後悔し、不安を覚え続ける。

人は誰でも、自分と言う国を統治する王だと思う。
国の大きさ、優劣、それぞれあるだろうが、とにかく一つとして同じものがないのが特徴だと思う。
その国が病に冒され、存続不可能になるまえに様々な手段で回復させるのが、治療なんだろう。(まさに政治も体も心も同じだなと思いつつ)
国の反映のため、生存のため、周りとうまく関わりながら存在してく。

ところが、病気だと分かると、周りとの関係性ががらりと変わる。
がんと告知されることは、ものすごい衝撃だ。とたんに自分の国の統治を放棄したくなるほどに。
(放棄する人も少なくないるだろう)
もし物が使えなくなったり不良品だったの場合は交換してもらえる。
しかし、人の場合ものと同じようには行かない。
もののように代替がきかない。
きかないのにも関わらず、私がこの闘病生活で送ってきた中で見てきた患者の姿は、とてもつらく、そしてある意味捨てられていく人が多い気がした。

病になると、王として他の国と対等に交渉することが出来なくなる。
それは家族と言う、通常協力国と思われる国でも、扱いが冷たくなったり、過干渉になったりすることが多いと思った。
大部屋に入院していると、社会の縮図を感じる。
いつもご主人がお見舞いにきてくれて、幸せそうに退院してく人。
息子になじられ、金の在処を常に質問され、入院手続きも必要なものも用意してもらえない人。
比率で言うと、後者の様な方が多い気がする。

病になって、応援してくれる人が居ない人の、なんと多いことか。
病気になると「面倒な対象」として扱われるのかもしれない。

気持ちの応援はとても大切。
でも患者には一番必要なのは、王を支える生活面でのサポーターだと思う。
何でも言うことをきくとか、先回りして考えるとかそういうことではない。
話に耳を傾け、どこが痛いのか認識してくれ、少しの心遣い。
たった一言「そうなんだね」と身近な人が同意してくれることがどれほど大きいか。
「いつでもサポートしますよ」と握手することかな。


がんになったら、まず間違いなく自分の国の風景は変わる。
私は、癌になってからの心の風景は、ずっとグレーのままだ。
どんなに楽しいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、以前のように心からウキウキするようなことはない。悲しむこともない。
一時期は、あまりにも感情が無くなって「もう人間ではなくなってしまった」と思った。


ガン闘病で一番患者が守らないといけないことは、「希望」を必死で守ることかもしれない。
そして、統治することを放棄しないことだと思う。
体の一部を失っても、生きていくことは出来るだろう。
でも生きるとは、単に息をして吐くことではない。
たとえ体が実際にそうなったとしても、本当に生きるとは、自分の国を最後まで統治し続けること。
それが尊厳につながり、家族からの治療の反対や過干渉、あるいは無関心、そして社会的な孤独に唯一対抗できるものだと思う。
ラテン語のこんな金言を見つけた。 Nihil est difficilius quam bene imper〓re. 良き支配者である以上の難事はなし。 私たちは常に、チャレンジしているのかもしれない。 病はそのエッジを鮮明に感じさせるだけなのかも。



脚力激減

足の力が無くなってる。

やはり1年間まともに運動していないと、衰えるもんだなぁ。
はっきりと分かったのはジムでマシンを使ったとき。
それまでマシンを使ったことがなかったので、ジムの人の指導のもとレッグプレスをやってみた。

はじめ足が太いからか中級のおもりをつけられ(無理ですと言ったのに…)、ものすごい負荷を感じた。(一応あげられたけど)
がーん。
多分蹴りも全然威力が落ちてるんだろうな…。
しょぼぼん。

思えば本当に去年は運動らしい運動はしていなくて、特に筋トレはやっていなかった。
私的には有酸素運動と筋トレを程よく組み合わせたほうが、好きな体になれると思っている。
手術した腕がちぎれちゃう…と馬鹿みたいな心配をしていた。

これから鍛えられると思ったら、うしししし、今年はほんと楽しみだ。