良き支配者である以上の難事はなし

癌になってからおそらく一番変わった部分であり周りに一番理解されないことは、私の場合尊厳を奪われたことだと思う。
こういう風に書くととても大げさだと思われるかもしれないが、まさに尊厳そのものだと、時間が経った今でもそう思う。
ここで言う尊厳とは、癌によって人間としての存在の尊厳、女として生殖能力にダメージを受ける尊厳、治療に関して患者本人の意向を通し続ける尊厳だ。
人間として、女性としての尊厳が治療の選択肢を変えてしまうことが大いにあり、その選択肢に家族や他人に影響されることは仕方ないとはいえ、最終的に自分で決めなければならない。
どの選択肢を選ぶか、患者はとても苦悩し、後悔し、不安を覚え続ける。

人は誰でも、自分と言う国を統治する王だと思う。
国の大きさ、優劣、それぞれあるだろうが、とにかく一つとして同じものがないのが特徴だと思う。
その国が病に冒され、存続不可能になるまえに様々な手段で回復させるのが、治療なんだろう。(まさに政治も体も心も同じだなと思いつつ)
国の反映のため、生存のため、周りとうまく関わりながら存在してく。

ところが、病気だと分かると、周りとの関係性ががらりと変わる。
がんと告知されることは、ものすごい衝撃だ。とたんに自分の国の統治を放棄したくなるほどに。
(放棄する人も少なくないるだろう)
もし物が使えなくなったり不良品だったの場合は交換してもらえる。
しかし、人の場合ものと同じようには行かない。
もののように代替がきかない。
きかないのにも関わらず、私がこの闘病生活で送ってきた中で見てきた患者の姿は、とてもつらく、そしてある意味捨てられていく人が多い気がした。

病になると、王として他の国と対等に交渉することが出来なくなる。
それは家族と言う、通常協力国と思われる国でも、扱いが冷たくなったり、過干渉になったりすることが多いと思った。
大部屋に入院していると、社会の縮図を感じる。
いつもご主人がお見舞いにきてくれて、幸せそうに退院してく人。
息子になじられ、金の在処を常に質問され、入院手続きも必要なものも用意してもらえない人。
比率で言うと、後者の様な方が多い気がする。

病になって、応援してくれる人が居ない人の、なんと多いことか。
病気になると「面倒な対象」として扱われるのかもしれない。

気持ちの応援はとても大切。
でも患者には一番必要なのは、王を支える生活面でのサポーターだと思う。
何でも言うことをきくとか、先回りして考えるとかそういうことではない。
話に耳を傾け、どこが痛いのか認識してくれ、少しの心遣い。
たった一言「そうなんだね」と身近な人が同意してくれることがどれほど大きいか。
「いつでもサポートしますよ」と握手することかな。


がんになったら、まず間違いなく自分の国の風景は変わる。
私は、癌になってからの心の風景は、ずっとグレーのままだ。
どんなに楽しいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、以前のように心からウキウキするようなことはない。悲しむこともない。
一時期は、あまりにも感情が無くなって「もう人間ではなくなってしまった」と思った。


ガン闘病で一番患者が守らないといけないことは、「希望」を必死で守ることかもしれない。
そして、統治することを放棄しないことだと思う。
体の一部を失っても、生きていくことは出来るだろう。
でも生きるとは、単に息をして吐くことではない。
たとえ体が実際にそうなったとしても、本当に生きるとは、自分の国を最後まで統治し続けること。
それが尊厳につながり、家族からの治療の反対や過干渉、あるいは無関心、そして社会的な孤独に唯一対抗できるものだと思う。
ラテン語のこんな金言を見つけた。 Nihil est difficilius quam bene imper〓re. 良き支配者である以上の難事はなし。 私たちは常に、チャレンジしているのかもしれない。 病はそのエッジを鮮明に感じさせるだけなのかも。