シャングリラ−故郷と共に生きる

抗がん剤の影響で、ここ5日くらいの記憶はほとんどない。
ずっと寝ていたから。寝てるか食べてるか。寝てるか食べてるか・・・。
でも実は食べれていない。
また体重が減った。
次の抗がん剤投与日までに体重が戻らなければ、また申告しなくてはいけない。

抗がん剤は、体積に比例して量を決めているらしい。
非常に危険である治療なので、量管理が大切だそうだ。
体重が減ると抗がん剤の量を減らしてもらわないと危ない。

実は今回頭痛がした。
最初のアレルギー用の薬の時点で、かなり体がしんどかった。
粘膜部分が痒くなった。

前回よりもなんとなく、回復が遅い気がする。
それもそうか。白血球が完全に元に戻ってないのに、抗がん剤するんだもの。
抗がん剤が抜けるのに、数ヶ月かかるだろうな。

あまりのしんどさ、体のダメージに精神まで鬱々していた。
徐々にマシになるとは分かっていても、相当応えた。
こういうときは、自分の存在ってなんだろうと考えてしまう。
まあ大した存在じゃないほうが、大した存在ではないゆえに、理由付けがほしくなって考えてしまうんだろう。
でもそのときは真剣だ。今となっては笑ってしまうが。子供みたいだな。


今日はヤン・リーピンのシャングリラを観て来た。
これは抗がん剤後に見れるぎりぎりの日程だった。今日がラスト。でもどうしても観たかったので、吐いてでも観に行こうと思った。
チケットもギリギリ買えた。母や息子は興味が無いらしく、一人で観に行った。


観に行って大正解。
理由は2つ。
一つは舞台が素晴らしかった。→『シャングリラの舞台』
もう一つはこの部隊の成り立ち、経済活動だ。→『この舞台を支えるために−商業成功』
まとめはこちら。→『必死で生きてきたのか』

ヤン・リーピン氏について知らない人もいると思う。

中国雲南省大理地方の少数民族、ぺー族の出身。1971年、シーサンパンナ州歌舞団に入団、「孔雀姫」のヒロインを演じ、79年、雲南省芸能コンクールで優勝。86年、自身の代表作となるソロダンス「孔雀の精霊」を創作、同年、第2回中国舞踊コンクールで脚色・主演の2部門で1位を受賞するなど、一躍有名になる。90年、北京での第11回アジア・オリンピック閉幕式でも「孔雀の精霊」を披露。93年、中国中央テレビ春節番組(日本の紅白歌合戦のような国民的番組)で自ら創作・主演した「2本の木」は視聴率ナンバー1を獲得。97年、監督・主演した映画「太陽の鳥」は、カナダ・モントリオール国際映画祭で審査員特別賞を受賞。 2000年、雲南省少数民族の文化を15ヶ月に渡って取材・探求。2003年、自身の創造力を駆使してこれらの要素を一つにまとめた、少数民族の旧き良き文化を現代的なコンセプトで融合して生み出した、全く新しい芸術表現「シャングリラ」を発表した。 2008年3月、「シャングリラ」の東京公演が大成功した後も、ますます創作意欲は盛んになり、同年、チベット民族をテーマにした新作「蔵謎」(チベットのミステリー)、2009年、「シャングリラ」の姉妹編ともいえる「雲南響声」(雲南の声)を続けて発表している。
出典:ヤン・リーピン、プロフィール

台湾で資本主義的な暮らしをしていたが、90年代末に久しぶりに故郷を訪れて、その美しい風土が風化していることに愕然としたという。
それが今回、少数民族たちによる各民謡舞踏をステージ化するに至る経緯。
現地の人を採用し、現地の衣装、現地の舞踏、現地の歌を再現した。

彼女自身、幼い頃に両親が離婚。貧しい中舞踏集団に入り、頭角を現す。


シャングリラ=理想郷だが、彼女はこの舞台に何を託したのか、何を伝えたかったのか。