潜水服は蝶を夢見る

昼間寝たのと、吐き気が若干止まっている今のうちに書きたいことがある。
だから今日も夜が遅いことは許してね。

邦題『潜水服は蝶の夢を見る』が、ここ数日ずっとほしい本だった。
今日のタイトルはこの本のタイトルをもじったというか、私の感覚、リズムでしっくり来る言葉にした。

ご存知かもしれないが、著者のジャン=ドミニック・ボービーは、フランス『ELLE』誌編集長だった。
ある日脳内出血で倒れ、世界でも数少ない難病「ロックトイン症候群」にかかってしまう。
知力も意識もそのままだが、体を動かすことが出来ない。

潜水服とは、彼の動かせないからだ。
蝶とは、彼の魂。

彼は瑞々しい感性と類稀なる知性で、彼自身の魂を蝶のようにあちこちに飛ばすことが出来る。
文は淡々としているが、コンテンツは鮮やかで色とりどりだ。
直感的に、私も自身のブログをこういう風に書きたい、と思った。

彼は華々しいファッション誌に最初からいたわけではない。
闘争、という意味の『コンバ』日刊紙でデビューした。
第二次世界大戦中、対独レジスタンス組織の機関紙としてカミュらによって創刊された新聞だった。
その後『ル・コティディアン・ド・パリ』『ル・マタン・ド・パリ』などを経て、『ELLE』誌の編集長に迎えられた。

華々しいファッション誌の仕事をしていた彼が、ある日突然倒れた。
体のあらゆる機能を「奪われ」て。
自力で排泄はおろか、嚥下も出来ない。よだれがたれている。
動かせるのは、若干の首と左目のまぶただけ。
彼は瞬きをすることにより、言語を得た。相当な努力だ。
彼は20万回もの瞬きで、1冊の本を書き上げてしまった。
もともとは硬派のジャーナリストだからだろうか。

体は動かなくても、心の不自由は拒絶した彼。


彼のつむぎだす言葉は、虚ろな甘美さは無かった。私はそう思った。
あるがままの事実に対し、ユーモア、時にシニカル、そして美しさを見出していた。

感受性を枯渇させないためには、アウトプットが必要だ。
単に好き勝手アウトプットすることではない。
きちんと推敲し、「表現」すること。
それにはもっと知識や知恵、体験が必要だ。あらゆることが学びなんだと、彼は私に教えてくれた。


今日は2回目の抗がん剤だった。これで1週間は吐き気と戦わなくてはいけない。
今日の体液は3ccだった。
なのに右脇下は固い。なぜ固いか主治医に質問した。
皮膚はいったん固くなり、その後やわらかくなる。どれくらい立てばよいかというと、およそ2ヶ月だという。

主治医に手術が痛かったことを告げると、「抗がん剤のほうがしんどいでしょ?」と笑って言われた。
抗がん剤もきついけど、手術も相当痛かったです」というと、
「そうやねー、あまのさん痛かったねー」といわれた。

そうなんだろう。傷が私が想像しているよりかは、深かったんだと思った。

そして主治医の家族の話をした。主治医は優しい人だと思った。と同時に、リアリストでもあると思った。
彼は自分の出来ることと出来ないことを、きちんと認識しているのだ。
すごいことだ。

彼は科学者であるけれど、同時に自然に対する科学が及ばない力、科学では解明できないことの多さに、感嘆しているだろうに違いない。

これは別の日の話だが、「血管も糸で縫うんですよ。でもね、なぜくっつくかって言うのは分かってないんです。不思議でしょ。まあくっついてもらわないと困るんですがね。」
人知を超えた能力に医療は介添えをする、というスタンスなんだろうか。

今日、今後の抗がん剤治療に対して、少し質問した。
なぜ術後すぐに抗がん剤を行うのですか?白血球がどれくらい下がると白血球を増やす注射をするのですか?など。

その途中で、主治医が発した言葉。「癌はもうない。」
これはおそらく、「腫瘍は」という意味であろう。でなければ、抗がん剤を打つ理由は無いのだから。
そして多分、主治医の中で私の「確立」は49/51でセーフの領域に入っているのだろう。
安心はしていないが、放射線治療については絶対受けるのではなく、要検討として乳房再建についても軽く触れていた。



言葉尻ではなく、全体を、そして感性で捉えることは、とても難しい。
攻撃的な態度では、決して得られないからだ。
かといって、受動的でもいけないと思う。
能動的に、おだやかに、感受性を開く。

それは、自分の表現に役立つだけでなく、相手から何かを引き出すのにも必要だ。

数日前の私なら、おそらく「どうしてちぐはぐなことを言うの?」と思っていたに違いない。
しかし今日は違った。
潜水服は蝶の夢を見るの本は、家に帰ってきてから大急ぎで読んだ。
帰ってきて読んだときには、確信めいていた。


私には足がある。
私には手もある。
まだ走ることは出来ないが、本を読んだり、歩くことは出来る。
話すことも出来る。

彼は、ジャン=ドミニック・ボービーは非常に素晴らしく、稀有な知性と感性の持ち主だった。
亡くなってしまったが本という形を通して、彼は「永遠のエレガントな蝶」として、私たちに示唆を与え続けてくれる。

私は、この世でたった一人という意味では「ユニーク」だが、決して知性や感性といった面では「ユニーク」では無いだろう。
しかし、可能性があるならば、私が思ったことや感じたことを、もっと磨いて表現したい。
それが誰かの役に立つならば、社会との一筋の糸となってくれるなら、私は生きた心地がするだろう。

もし、あなたが、癌になったら。
癌でなくても、困難な状況になったら。
ぜひ、表現をしてみてはいかがだろうか。
孤独に浸らず声を上げて状況を打ち破ることは、とても勇気が必要だが同時に感動がたくさんある。
もちろん、たまには痛みもある。
何かを感じるということは、心地よいことだけを見ることではないと思う。


私は、潜水服はまだ来ていない。
彼に比べれば、さしずめ傷ついた鳥程度のことだろう。いつかは傷は癒える。
しかし、潜水服の可能性もある。それが癌だ。

今は、潜水服を着る可能性だけに目を向けるべきではない。まだ羽があるうちから諦めてはいけない。
たとえその羽が1枚1枚千切れていったとしても、それは普通の人間でもありえることではないか。


私のIDはflyingLarus。いつか本当にそらとぶかもめになりたいものだ。
そのために、日々の出来事から、癌から、学び取ろう。