二ヶ月間のお休み

この2ヶ月ほど、生きる意味が無いと思った時期は無かった。
仕事と、息子と、病気についての不安と、体調の悪さと、家族も含む人間関係の変化と、本当にめまぐるしく重くのしかかった。
病気のせいで息子に何かをいってくる人もいたし、私自身病気を理由に仕事を失った件もあった。
あなたの息子がひ弱だから悪い、とはっきり言われた。
ガン患者に仕事は任せられない、とはっきり言われた。
学校にいったら行ったで、息子を置いて勉強をしている苦しさもあったし、仲間についていけるのかどうかの焦りもあった。
学校に行く間、シッターにたのんでいることもあり、学業と経済的自立との狭間で本当に精神的につかれた。

昨日はやなせたかしさんの記事を読んで、とても感動した。
光を見た気がした。

アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

「正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。」

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。

この2ヶ月、私達の価値観が新しいものに生まれ変わろうとしている。
アメリカでも竜巻でたくさんの人が亡くなり、他の地域でも内戦や貧困により、たくさんの命が失われている。
個人的にも、環境の変化やギャップ、考え方の違い、自分を受け入れてもらえない出来事の連続で、とても苦しかった。今も苦しいのは変わらない。
自分の目標を明確にしたい、周りに負けたくない、馬鹿にされたくない。現実とのギャップが余計に焦らせたと思う。

私はとりあえず、手放さないといけないと思った。いろいろと。
考えもそうだし、今具体的にやろうとしていることもそう。少しでも嫌だと思ったことはやるべきではない。
「人はあなたのことを見ていない」と言われた時はショックだったけど、実際そうなんだろう。
誰も私のことなど見ていない。気にすんなって言われてるだけなんだけど、傷ついた。

このブログを再開しようと思ったのは、目の前のことを始めないといけないなと思ったから。
これで何を手放すって、周りに目がいくことを手放そうと。
周りを見えなくする作戦。運動もそう。ジムもやめようかと思ったけど、続けることにする。

もう一つはもう一度何がしたいのかを考えることと、そのために小さなことをすること。
この二ヶ月で感じた不条理と再発の恐怖。
何を言われることに傷ついたのか。
何を知ってほしいのか。
逆に私が知らないといけないこと。そして、出来なくても自分を嫌いにならないこと。
自分がしてほしいことを実現する為に、小さなことをすること。大きなことをするのは禁止。

多分また忘れちゃうんだけど。同じ失敗するんだけど。


最後に。
お家においでって言ってくれたり、話聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたり、無視してくれたり、イヤーな雰囲気にしてくれたり、ありがとう。(嫌みではない)
人の存在によってしか気づけないことがある。関わろうとしてくれることがありがたいです。
もう少しがんばってみます。