だれもしらない

一通りの治療が終わって、特段病院に通うこともなく、日々自活することへ意識も行きだしている。
この状況を「助かった」というにはまだ早いのかもしれない。
しかし、一時期の急性期というか、爆発的な転移をする前に治療でき、その後の一連の辛い治療を経て、落ち着きを取り戻しているのは紛れもない事実だ。

主治医から言われていること、「好きなことをしてください」は、私にとっては正直辛い言葉だった。
好きなことをしたいけど、蜂窩織炎 (ほうかしきえん)になったり(今でもバイアスピリン100を毎日ではないが服用するよう指示されている)、突然の発熱で抗がん剤治療の副作用と同時期で本当に怖かったりと、本当に自由にして大丈夫だろうかという不安があった。

だれか、私に指示を与えてほしい。
正直そう思った。
日本の病院での治療は、急性期が最も多いのだと思う。
※医療的に指す急性期とは違うかもしれないが、治療を急いでやらないといけない時期のことで、その後のQOLやリハビリなどとは違う、位のイメージで考えてください。
怖い想いをすると、臆病になる。
本当はたいしたことじゃないのかもしれないが。

そしてこれから、長い長い経過観察期間が始まる。
初回のがんは根治できるというが、一体いつになったら根治といえるのだろうか。
乳ガンは10年みないといけないと主治医も言っている。
私は患者なのか、それともサバイバーなのか。(広義の意味ではサバイバーだが、狭義では2年以上経過したがん経験者のことを言うとどこかで聞いた)
おそらくまだ患者なのだろう。

治療って、医師がするものじゃなく、患者が主体的にするものなんだと、改めて今感じている。
医師は私のパートナーであるが、私ではない。
私の身体は私が治さねばならない。
やれる治療は今のところ済んだ(ホルモン剤をしなければ)状態で、あとは私がどうするかなんだと思う。

もし、再建手術をするとしたら2年後。
再建手術をするにもお金はかかる。
そして、自前の細胞を使うならば、体にまた傷が残る。
自分にとっては今後も厳しい選択が残る。

健康管理とは、本当に自己マネジメント。
事故(がん)が突然起きたときの対処、そして私は何より、急性期治療の殿(しんがり)の処理と次につなげる下準備に変えてしまう力が必要なんだと思う。

早く身体を動かしたいが、身体を正しく使いたいという意識もある。
胸の感覚がまだ戻らない。もしかしたら戻らないのかもしれない。
手術した側の脇下の肉が、ずり落ちてる気がする。
こういったこと一つ一つが、対処したらいいのかわからない。
マッサージは?したほうがいいのかしないほうがいいのか?どうやって?

今日走って、随分前よりも走るときの衝撃痛がマシになっている。
ストレッチをしているが、満足いっていない。が、続けたら体が変わっていったのかもしれない。
こうやって、がん患者のQOLは今も手探りのまま進んでいっていると思う。
そしてこれは、急性期では周りも病人として扱い心配してくれていたが、その後は患者として扱っていいのか、「治った」として扱っていいのか、社会的にも個人的に分からない時期だと思う。
自分もどう振舞っていいかわからない。

一ついえるのは、自分の思うようにしか出来ないし、自分で作るしかない。しらない、分からないでは何も出来ない。

これからのことはだれもしらない。
私が決めない限り、わたしもしらない。
これからが地味で長く、自主性が問われる時期かもしれない。