変化し続けることはチャレンジすること。 火の鳥、読了して

手塚治虫火の鳥全巻を少し前に読んだ。

昔アニメを見たことがあると思う。
我王という盗人が主人公の内容だった。
火の鳥の中では一編の物語に過ぎず、我王はその祖先を猿田彦としている。
過去も未来も時系列は色々で、それは火の鳥が時空を超えて存在するものだからだそうだ。


内容はそれぞれで読んでもらったほうがいいと思うので割愛。

ずっと書こうと思ってたけど、今日になってなぜその感想を書こうと思ったかというと、TVで障害者の人がアメリカ横断をしているのを見たから。
ベトナム戦争帰還兵。
地雷で足をなくし、友達をなくした。
メジャーリーガーが夢だったけど、野球選手どころじゃなくなった。
でも彼はあきらめず、体育教師になり、アメリカを横断し、その後もトライアスロンなどに挑戦した。


あきらめない。
言葉では簡単だけど、異型の形になってしまった時は得に、それを継続するのは非常に困難だろう。
火の鳥の世界でも、異形のものが沢山出てくる。それはもともと五体満足でも、怪我や病気により体が変形する。
一番ドキッとしたのは、あの卑弥呼が乳癌で亡くなったとしているところ。


生きたい。
根源的なこの欲求を、どのようにかなえるのかは人それぞれのようだ。
大体は命の長さにこだわる。
火の鳥はそのたびに諭す。
「生き方が問題だ」と。


テレビを見て感動的なものを扱っているとき、大概がお涙頂戴で非常に醒めるのだが、障害や困難を背負っていてもチャレンジしている人を見ると、今までとは違う見方が出来るようになった。


何かを失うということは、何かを得るチャンスがあるということ。
それは戻ってこなくても、次の何かを手に入れる。
変化していくことがいき続けることなのかもしれない。
変化がチャレンジなら、チャレンジし続けることが生きることなのかもしれない。

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