乳がん勉強会の映像

生活目線でがんを語る会の映像と文字起こしを、サポーターの皆様がご厚意でやっていただけました。
映像はこちら:
http://j.mp/ganrec11
http://j.mp/ganrec12

文字はこちら:
初めまして、あまのゆかと申します。よろしくお願いします。

えーと、最初にですね、ちょっと、今回の企画についてなんですけれど、
私は1月30日に、ツイッターの自分のアカウントがflyingLarusっていうんですけれども、
そこでがんのことを公表しました。
とても迷ったんですけれども、
自分が、その時に思ったことは、
がんは普通の人がなる。特別な病気じゃないっていうことを強く思ったので、
別アカウントをとろうかと思ったんですけれども、そうじゃなくて、
自分が普通に喋ってるところで、がんのことを話したいなと思ったので、
公表しました。
で、とても怖かったんですね。何か言われるんじゃないかとか、
そういう話を聞きたくないとか
そういうことを言われるかな、と思ったんですけど、
反応はま逆で、すごく温かい言葉ですとかね、励ましの言葉とか、いろいろもらったんですけれども、
そのときに、できたら、こういう形の勉強会を、いつかしたいなという風に思ったので、
まさか、半年後にできると思ってなかったんですけれども、
できてすごくうれしいなと思ってます。
ええと、やっぱり、私、普通の人間だと思うんですけれども、
人生って何が起こるか分からないなぁというのが、がんになったときに一番思ったことです。
何が起こるか分からないんですけれども、
そのときに大事なのは自分の意志なんだなということをすごく感じました。
どういう風に生きたいのかとか、どういう風に闘病したいのかとか、
そういうことも含めて、この闘病生活をすごく楽しみたいなという風に思ったんですね
楽しむっていうのは、言葉通り楽しいだけじゃなくて、
辛い感情もかみしめたいなと言う風に思ったんですね。
できるだけ、その感情を記録していって、
で、がんの患者さんの先輩達ですね、が、私にいろんなことを教えてくれたように
私は今度、がんになる前の健康な人に対していろいろ残していけたらなという風に思いました。

ええと、まず自己紹介なんですけれども、
私は大阪に在住していまして、1月29日にがんの告知を受けました。
で、1月の30日、次の日ですね、その時にはもうブログを用意して、
ツイッターで公表しました。

で、現在ですね、いわゆる標準治療って言われてるんですけれども、
手術と抗がん剤が終わって、残り放射線治療が残っている段階です。
で、ツイッターで公表して、ブログも同時並行で更新しているんですけれども、
まぁ、あの、そうですね、今一番思っているのは、誰もがんになってほしくない
ということです。
そのためには、やっぱり、普通のときに、まだ健康な時に、
いろいろ、何ができるのかって言うことをまず知ることだと思うので、
是非これがきっかけになったらうれしいなという風に思っています。

私のがんなんですけれども、乳がんでもいろいろあるんですね。
浸潤性乳管がん、充実腺管がんという、進行性のがんで、
発見が遅れると全身に転移する、非常に、厄介ながんです。

で、これが出てるんですけれども、
私の腫瘍ですね。右の乳房です。
乳頭の上が一番大きい3センチ大腫瘍なんですけれども、その近くに7ミリの娘結節って
あるんですけれども、これはよく主治医がdaughter, daughterっていうんですけれども
そこにも腫瘍がありました。で、もうひとつは脇のところですね、 リンパ節転移があって、リンパのところにセンチネルリンパっていう
見張り役のリンパ節があるらしくって、そこに二つ、大ですね、大二つに転移してました
なので、リンパも全部取ってます
で、まさかこんなに転移してると思ってなかったんですね。
がんてこういう風に飛び散るんだなっていうのを、すごく実感しました。
で、胸のしこりに気づいたのはですね、
昨年2009年の8月ぐらいから。8月の前ぐらいから、なんですけれども
その時からちょっと体調がおかしくなり始めて、
で、どういう風におかしいかというと、もうやる気の低下、それから全身がこわばって、
動かなくなって、手がちょっと、あきにくくなって、
で、もう何もしたくないっていう状態で、
で、おかしいなと思って、最初は膠原病かなっていうふうに思ったんですね。
で、膠原病かなぁって思って、
今たまたま乳がんで通っている病院が大きかったんですけれど、
その前に膠原病内科というところがありまして、そこに通ったんですけど、
まぁ今は異常がないけれども、抗体異常っていう、血液の検査をしたら、
抗体異常が認められたので、若干、
将来膠原病発病する可能性があります、と
で、検査してくださいって言われたんですけど、
その時に腹腔のエコーの検査とかもしたんですけど、胸はみてもらわなかったんですね、
それでまあ、ちょっと、発見が遅かったっていうのは、あります。
で、胸のしこりは、ちょっと気になってたんですけれども、
5〜6年ぐらい前に、乳腺炎というのを起こしてまして
乳腺が詰まっちゃう、炎症の症状なんですけれども、
それはよく、経産婦ではあることなので、まぁ今回もそうなのかな、と。
痛いなって思ってたけど、でも、前の乳腺炎おこしたときのものすごい痛みとは、
やっぱり違う
違うなーっておもいながら、ぱーって触ったら、かなりの大きさのしこりになっていて、
あ、これは、あかんなっていう風に思って、
これはがん、かなぁって思って、
検索して、
たまたま自分の通ってる病院もあったんですけど、
その前に開業医、町のお医者さんですね、に見てもらったんですね。
やっぱり、あの、怖いんで、
まず、そこで否定して欲しかったっていうのもあるし、
あと、いきなり大きな病院にかかるっていうのも、結構怖いことなので、
まずそこで、乳がん検診をしました。
で、女医さんで、エコー検査をやったんですけれども、
もうしこりがかなり大きいと、その時で3センチ認められたので、12月末なんですけど、
要再検査って言われて、
どこにしますかっていうふうに聞かれたときに、
一番アクセスしやすかったのが今の病院なので、
それだけで決めちゃったんですけれども、
で、1月の29日に再検査してもらいました。
そうすると、その場でがんですと言われて、
マンモグラフィーと生検検査って言って、ここに、ストローぐらいの大きな針を刺して、
(ストロー?)ストローです。
組織をとるんですね、しこりの。
そのときに検査したら、もう、がんですと。
で、マンモグラフィーの映像見ても、
がんかどうかっていうのはちょっと分からなかったんですね、実は。
で、主治医の経験上、おそらくがんであろうと、
病理に回しますっていわれて、もうその時に手術の日が決まりました。
2月18日
で、15日しかないんですね。
手術するのに
で、なんでこんなに急ぐんかな、と
もしかして、外科のお医者さんにかかったの初めてだったんで、
切りたいんかなとか(笑)って思ったんですけれども、
あの、そうじゃなくて、
多分主治医は直感的に、あ、これは危ない。進行性が速い。
で、案の定やっぱり15日間だったんですけれど、1ミリか2ミリ大きくなってたんですね、
最終的にもう一度見たときに
で、CTをとって、手術に至りました。
で、がんのタイプなんですけれども、
非常に悪性度が高い、がんです。
で、何が、悪性度が高いって、意味がわからないと思うんですけれども、
これは、転移、それから増殖スピードが高いっていう意味です。
増殖スピードが速い上に、私のがんのタイプが、乳がんの中では予後が悪いと言われているトリプルネガティブで、
ネガティブって陰性っていう意味なんですけれど、
普通はホルモン、2種類のホルモンと、もうひとつは遺伝子、その3つのタイプどれかに
分けられたりとか、服従してたりとかするんですけれど、そのどれでもないっていう
ケースで、非常に転移しやすく、予後っていうのは、まぁ死亡率なんですけど、が悪いがんです。
そういう風に診断されて、
手術に至ったんですけれども、
すごく15日で手術できたっていうのはすごくラッキーだったっていうのはあとでわかってきて、
闘病しながらずっと勉強しているので、今も継続中なんですけれども、
乳がんだっていう風に分かっても、2〜3カ月待たされるそうです。
そういうケースが多くって、なぜかというと、乳腺外科の先生が、まず少ない
で、あと乳がんて判断できる、読影技術が非常に高くないと難しいらしくて、
マンモを受けたとしても、誤診もあるし、
若ければ若いほど、若年性の乳がんていうのは見つけにくいんですね。
で、今も40歳以上の方が、マンモの対象になってると思うんですけれども、
そういう意味で乳腺がやっぱり衰え出してからじゃないと、
なかなかがんが見つけにくいっていうことで、
私は、まず発見されたっていうラッキーさと、
すぐ手術できたっていうラッキーさがあって、
でもやっぱそのときは全く分からなくて、なんで手術せなあかんの、
なんで胸なくなんの、ていうのと、
ほんまはがん違うんちがうのみたいな
やっぱり最後の最後まで、手術直前まで、ほんまはがん違うっていう風に思ってました。
で、今どういう状況かっていうのは、手術の後に抗がん剤の治療をはじめまして、
それは3月3日から抗がん剤がスタートしました。
で、私のがんの特徴ですね、それに照らし合わせたのと、
若年性っていうのは35歳以下がみんな若年性なんですけれども、
私いま34なんですけれども、たった1歳違うだけで、
一番きつい治療しないといけないんですね。
で、さっきの抗がん剤、手術、放射線ていうのは、
運が良い人は、全部しなくていいんです。
でも、運が悪い人はみんなしないといけないんです。
で、もう34ていうだけで全部しないとなんないっていう、
乳がん学会のガイドラインがあって、
で、私は全部しないといけないのと、さっきのトリプルネガティブっていう悪性度の
非常に高いがんなので、一番きつい抗がん剤をしないといけないと。
で、FEC、DOCっていわれている、抗がん剤なんですけれども、
これが一番きつい抗がん剤らしいんですね、
私はちょっと他のは受けたことがないので分からないんですけれども
で、これを3回ずつやります。
で、FECは、副作用だけ言うと、心毒性、まぁ心臓が弱るんですね、
であとDOCっていうのは、白血球が格段に下がるものらしくて、
爪も今、塗ってますけど、実は半分以上は浮いてる、はがれている状態で、
あと、今も手足の麻痺が残っている状態です。
で、次、今日も朝、放射線の打ち合わせをしてきたんですけれど、 今度は放射線の治療に入ります。
これまでの闘病生活ですごく思ったことが、
常にやっぱり患者は不安にさいなまれるというか、あらゆることが不安なんですね。
3つの軸で言うと、個人の不安、あの、死ぬかもしれない、
あの、死なないんですけど、死ぬかも知れないっていう、不安
それから医療、今の現在医療ですよね、自分がどんな治療をほんとに受けれるのかっていう
のは、やっぱり受けないと分からない。
言葉だけ聞いてても、こういう手術しますよって言われてもわからないし、
こういう抗がん剤受けますよって言われても分からない
で、もうひとつは、私は治る気満々なんですけど、
治った後に社会復帰できるかどうかという不安
まず、社会が受け入れてくれるのかどうか、
で、自分の実名で公開しているのもありますので、
働く時の障害とか、そういうことも考えると、とても不安だったんですけども、
でもそれ以上に公表して良かったなっていうことは、たくさんありました。
で、今後なんですけれども、
今がんで、去年かな。去年乳がんで亡くなった方っていうのは1万人いるそうです。
で、年代がいろいろあるので、今この来ていらっしゃる方とか、
直接お話しさせていただっている方がすぐ乳がんになるというわけではもちろんないんですけれども、
食生活がだいぶ変わっているので、誰でも乳がんになる確率もあるし、
男性もそうだと思うんですけれども、
私この1万人という数字を聞いたときに、私この数字の中に入りたくないって思ったんで すね。
1万人の中にカウントされたくない。今年の1万人には絶対入りたくない。
でも5年後の1万人に入ってるかも知れないんですね。
10年後の1万人に入ってるかも知れない。
リミットがあるんだなって、命って。
いつか絶対死ぬんだなって、いうのをすごく感じたんで、
その間に、さっき言ったみたいに、今回みたいな勉強会で、
まだがんになっていない方に、がんの闘病っていうのがどんなことなのかとか、
その時々の心情とか伝えるチャンスがあったらな、っていう風に思ってます。

で、そうですね、
やっぱり、その1万人の中には入りたくないんですけれども、
がん患者っていう数をちゃんと認識してほしいなっていう、そういう意味で、
そういう1っていう、がん患者の1に入りたいなっていう風に思っていて、
できるだけその、今生かされている、いろんな人に協力してもらって、
生かされているなっていう風に思うので、できれば何かそういう形で貢献できたらなって
いう風に思ってます。

(やすゆきさん:えーとだいぶ時間がすぎちゃってるんですけれども、前、
ゆかさんとメールとか交換させてもらったときに言ってた、
生活保護の話とかあったじゃないですか、あの辺をちょっと、もうちょっと詳しく)

はい。生活保護
抗がん剤ってすごく高いんですね。4〜5万円1回につきするんです。
で、3週間に1回なんで、結構な頻度でするのと、
検査費用だけでも1万円とかかかるので、
かなりお金がかかるのと、
生活面でもすごく逼迫されるんですね。
で、主治医に相談したところ、
生活保護は受けるケースが多いよっていうのを聞いたんで、
生活保護課に電話したんですよ。
そしたら、あなた今何やってるんですか、から始まって、尋問みたいに、
いや、抗がん剤を受けてるんで、こういう状況なんですよって言っても、
だから〜みたいな感じで、
向こうの聞きたいことだけを聞かれて、
はぁ、はぁ、って聞いてると、
やっぱりその、働けない理由っていうのが明確じゃないとか、
あなた車持ってるんですかとか
預貯金なんぼなんですかとか
それを証明するのはどうしたらいいんですかとか、
家賃いくらのところに住んでるんですかとか、
もうプライバシーも何にもないなっていう、
ただ相談したいだけやねん、ていうのが、全く通じなくて、
で、最初に言われたのは、あなたが通るかどうかはまた別として、
まず、引越ししてもらいますと。
家賃5万のところに引っ越してもらいますと。
私息子がいるんですけれども、校区とか関係なく、
もう指定されたところに引っ越せみたいな、そんなかんじだったんですね。

(やすゆき:そういう言い方なんですか?)

ま、もっと丁寧な言い方ではありましたけど

(やすゆき:ああでも、言ってることはそんな感じ。生活保護受けるんだったら、このくらいのこういうところに住め、と)

そうですね、家は探してあげますけど、みたいな感じで、
えっと思って、じゃあその生活保護が終わった時に、引っ越すのはどうしたらいいのみたいな
そんな感じだと思うんですけれども、
お金は全部出すから、丸抱えしてあげると。その代りしゃべらないみたいな感じで

(やすゆき:言うとおりにしろと)

それでは、やっぱり、ちがうねんと。私は月ちょっとだけ貸してほしいねんというのが
あって…

(やすゆき:Quality of Lifeがぜんぜんちがうよね)

で、私は働けるようになったら返したいし、ニーズが全然合ってないなっていう風に思った。
もちろん、今の生活保護の形が必要な人もいてると思うんですけれども、
そうじゃなくって、やっぱり、働けれる人には働けるように仕向けないといけないんじゃ
ないのかなという風に
それはすごく思いましたね。

(やすゆき:他に何か会場から質問とか、ありますか?せっかくなんで)

(ひとぴん:生活保護の話が出たんですけれども、高額医療用の補助とか出るとおもうんですけれども、それではカバーはできないんですか?)

できないという風に、私は思います。
一時的に、たとえば入院費用とか手術費用とか、あるとは思うんですけれども、
これがずっと長期間かかるので、一時的にはなったとしても
闘病生活っていうのがすごく長くなっていくので、
それはちょっと難しいんじゃないのかなという風に思っています。 実際今、私一人親なので、大阪府から一応援助が出るんですけれども、
それでもやっぱり、働けないとか、
闘病に関わる生活の雑費ですよね。それがものすごくかかるので、 (ひとぴん:医療費以外の部分ですか?)
そうですね。そういう意味でバックアップしてもらいたいなと思いました。

(やすゆき:これってやっぱり、がんてわかって手術をして、
それからいろんな療法、たとえば放射線も含めて、時間がすごく長いじゃないですか。
良く言われるのは、がんは治るというか、
ずっとつきあわなきゃいけないという言い方をするじゃないですか。
そういうことからすると、一回だけ、たとえば骨折した時みたいに、
ギプスして、それが終わったら外せばいいっていうふうじゃないわけですよね)

じゃないですね。ずっと、死ぬまでずっと関わるので、全然違いますね。

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大木:
このイベントを支援させていただくと決まってからですね、
ある本を実は読みまして、それが
「愛する家族ががんになったら、心を支えてくれる21の言葉」
という、実は絶版になった本だったんですけれど、
正直言って、ゆかさん頑張ってるときに、
実はこの本のタイトルあまり出したくなかったというのは、
中身の中の半分くらいは実はターミナルケアに関する話が非常に多くて、
ちょっとtouchyかなと思ったんですけど、ただ、
一方で素晴らしい言葉がたくさんありまして、
家族ががんになったということで、ケアしている家族の側も参ることがあったときに、
どういう風に自分を支えるかっていう風にも書いてある本なんですけれど、
家族が治療のみ、戦うことに、自分の家族ががんになった時に専念することに
ならないように、できるだけ、つまり、もっと人生っていうのは豊かなもので、
病気も含めて、戦うというよりは、一緒に、うまく付き合っていくというような
ニュアンスがあったんですけど、
しかしながら一方で、ゆかさんのブログを拝見すると、
とてもとても戦わずにいられないというか、本当にがんとの闘いって大変なもんだと
思うんですけど、
ゆかさんご本人が、もし辛かった時に、どういう声をかけてもらったら、
今だったらもう少し嬉しかったかなというのがあれば、
もしあったら、是非それはうかがっておきたいなと、ちょっと思ったんですけれど。

ゆか: あの、きっと、こういう風にして欲しいというリクエストっていうのは、
ものすごく個人差が激しいっていうのを前提に、
私の話をさせてもらうと、
私の存在を、きちんと認知してほしいと、
私のことを知りたいということだと思うんですね。
それは、やっぱり受容してほしい、受け入れて欲しいっていうことだと思うんですね。
私の何か言ったりとかこういう風に感じたっていうことを、
黙って受け入れて欲しいなっていうのと、
さっきも、その「頑張れ」っていう言葉とかいろいろあったんですけれど、
言葉とか、そういう細かいテクニカルなことではなくて、やっぱり 気持ちだと思うんですね。
まるまま、受け入れてくれるっていうのはすごく大きいと思います。


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ちょっとしゃべらせてもらうと、たとえばね、
何かを敵にするっていうのは、いろいろできると思うんですね。
メディアだったりとか、たとえば、現在の医療状況とか、
でも、よくアメリカの方が優れてるとか、どこどこの方が優れてるとか
言われるんですけれども、
はたしてそれ受けれるのと。自分の治療として。
そこだと思うんですよね。
で、できないことを、できないから、なになにが悪いっていうんじゃなくって、
まず自分が、どんな医療を受けられるのか、
で、その中で選択肢っていうのは狭まってくるんですね。必然的に。
で、そういうことを知らないで、いろんな議論をするっていうのは、
私は無駄だと思うんですね。
だからまず、今、テレビとかはやっぱり最新情報とか、
医療の、たとえば事故とか、そういう、ほんとに氷山の一角の話しかしないので、
まずは自分の住んでいる、まわりの病院で、どんなことができるのか、
そこから知ってほしいなっていうように思います。
で、検診ももちろんそうなんですけれども、当然、
乳がんとかはですね、若年性になればなるほど発見が難しい、と言われています。
なので、自分の身体なので、たとえば触ったりだとか、
なんか調子が悪いなとか、
私は、ちょっと汚い話かもしれないんですけど、
毎日排便の回数とか全部チェックしてた方なんですけれども、
やっぱり、それでもやっぱり、発見少し遅れたと思うんですね。
ぎりぎり、助かったんですけれども、
だから自分の身体っていうのは、誰かのせいじゃなくて、
誰かが発見してくれるっていうことじゃなくて、
自分で見つける。何か調子が悪いなと思ったら、
周りの適切な医療機関ていうのを自分で選択しないといけないので、
そこも患者になってしまったらできることは少ないんですけれど、
患者になる前は、できることたくさんあるので、
そこは是非知っておいてほしいなと思いました。




改めて。 この会をやってよかったと思う。 みんな、ありがとう。