学びの体験

薄暗い濁流の川の中を、溺れていたみたいだった。
とても辛かった。

身体は今も辛いが、強い毒素が抜けていくにつれ、精神的なものは徐々にマシになっていった。
が、体が強烈な痛みに支配されているここ何週間かは、とてもじゃないが前向きにはなれなかった。

手術もかなり痛かった。
胸が無い今もまだ、感覚が戻らない。むしろ浮腫によって悪化している。おそらく浮腫が取れない限り、この感覚は戻らない。そして今は動かせない。

手術よりはるかにしんどいのが、抗がん剤
比べ物にならない。

手術の痛みは、想像ができる。
それまでに手を切ったり、怪我をしたりしているから、その延長線上のことはなんとなく想像できる。それでも痛かった。

しかし抗がん剤は、想像できない。
あの身の置き所の無いしんどさ、痛みは、言葉では到底説明できない。
いや、はじめのうちはまだ耐えられた。
FECのうちは吐き気と眩暈、食欲の減退で済んだ。(起き上がれなくなるのは基本状態といっておこう。)
DOCは吐き気は少しだが、あのなんともいえないしんどさは、表現に困る。
まるで私の身体だけ、重力が倍かかっているのではないだろうかと思うような倦怠感。
手足のしびれ。痛くて起き上がれない。歩けない。足の裏がまるで剣山に常に刺されているような痛み。
末梢神経が麻痺して、骨まできしむ。
手を握ると、浮腫で傷む。
皮膚のしたの体液が膨張しているのが分かる。
「いっそ皮膚を切ってくれ」体液を出したら、楽になるかもしれない。
そんな馬鹿なことを思うくらい、痛かった。
浮腫みがこんなに怖いことだとは思わなかった。

浮腫みの関係だと思うが、爪が酷いことになった。
半分くらいまで皮膚がめくれている。めくれるのでそこをカバーしようとするのか、体液と血液が出て固まっている。
爪と皮膚の狭間がどんどんめくれ、皮膚の膨張が止まらない。
酷い人は爪が剥がれ落ちるそうだ。

これまでも繰り返しブログで書いたと思うが、本当に身の置き所が無かった。
また、抗がん剤を最後までやったことで、逆に気が抜けてしまった。
バーンアウトはよくあるらしい。それにより、がん患者全体の一定量鬱病を発症するといわれている。

主治医が、ラスト1回の抗がん剤のときに教えてくれた。
「あなたの受けた抗がん剤は、全てのガンの抗がん剤のなかでも一番きついといわれているものです。あと1回だから言いますが、死亡する可能性もありました。それくらいきつい治療でした。よくがんばりましたね。」
どうも最初の回が一番危険らしい。

本当に一番きつい抗がん剤なのかどうかは、私には分からない。主治医が励ましてくれただけなのかもしれない。
しかし、主治医は消化器系の外科でもあった(何か有名な術式を開発した人らしい)ので、遠からずきつい抗がん剤であったのであろう。

最後の抗がん剤は、本当にきつかった。
何がきついかというと、「予想を超える」ということがきつかった。
いつも楽になる時期になっても楽にならない。
痺れや浮腫みがいつまでたっても引かない。
爪はどんどん剥がれていく。
食欲があったのに無くなっていく。

一人で何も出来なくて、着替えすら出来なくて。
トイレにもいけなかった。
母に介助してもらい、息子に手伝ってもらい。

勝手に涙が流れた。
生きている意味があるのか分からなかった。
寝ても寝た気にならず、悪夢ばかり見た。

「一体、何のためにいるんだろう。」

何日も何日も、ずっと思わざるを得なかった。
私の中で、まだ「体が動く」ことが当たり前の状態として、インプットされていた。そのギャップに泣いた。
もう私はだめかもしれない。
本当にそう思っていた。

明けない夜は無い。そう思えるには体感が必要だった。
誰がこの体感をしたのだろう?
同じ抗がん剤を打っている人はそんなにいない。
あるのは主治医の持っているデータの中だけ。
そして日本人の正確なデータは無く、あるのはアメリカのデータだけ。
日本人に近い、プエルトリコ人のデータ。
その人たちに会いたかった。

ギャップを埋めたくて、無理をして外出したりした。
数人、人と会ったりもした。
仕事をしないといけない焦りもあった。
でもうまくいかなかった。
健常者と会うことで、逆に情けなくなった。
整体に行ったりもした。

気分はどんどん下がっていった。
とてもじゃないけど、前向きになんてなれなかった。

主治医に「あなたは鬱になるタイプではない」といわれたが、私はあの時は鬱状態だったと思う。
ずっと溺れていた。
息も出来ない。
身体を動かすことも、実際呼吸がうまく出来なかった。
歩こうとすると、足の痺れもあってうまく歩けず、初めて道にしゃがみ込んだときは本当に情けなく、また泣いてしまった。

39度の高熱が出たときは、追い討ちをかけるようにヒステリックになった。
実際には動けないので、ずっと泣いていた。声も上げれない。
喉が腫れて、声を出すのも苦しい。息をするのもしんどかった。
「もしかして、死ぬかもしれない」
本当にそう思った。

いったんどん底まで落ちた精神は、その後なかなか浮上させるのは難しい。
しかし、徐々に身体も戻ってきたら、精神的にも「もう大丈夫かな?」と思えるようになってきた。それでも日によってかなり左右した。
胸の傷が更に疎ましく、この時期きわどい服装のタレントがテレビに出ているのが、ことのほか腹立たしく感じられた。

落ち込んでいるとき、浮上するには色々なきっかけが必要になる。
それについてはまた別途書こうと思う。

この時期、何が一番大事か。
私はスケジューリングだと思う。
副作用についてどれくらいの時期の目安やしんどさを、主治医にしっかりヒアリングすること。
自分ではしていたつもりだが、甘かった。
ポイントは殿(しんがり)だと思う。
主治医から聞いたスケジューリングをしっかり把握(多分日数多目、しんどさ最大級で教えてくれる。)し、日々が過ぎるのを指折り数えるしかない。
「終わりがいつなのか」ということがおおよそ分かっていることは、精神衛生上とても大切なことだと思う。

精神的に落ち着くというのは、感情が高揚することではない、と個人的に思っている。
前向きとは、視野がクリアな状態。そう認識している。

濁流の中からは脱出した。
視界も泥だらけ(実際目やにが酷くて、目も開けられない時があった)だったのが、少しずつ見える範囲が増えてきた。
爪の状態も、少しずつではあるが確実によくなってきている。(剥がれてるけど)

自分の位置を自分が感じられるようにしておくこと。そのために必要なものがあれば準備すること。
これはまるで日常での生活と同じではないか。
ただ、ガンは命を晒す分、明確な陰影にしてくれるのが違うのだが。

リスクは相当に背負わされたが、黙って泣いてばかりではなくその分の学びは、自分が能動的に獲なければならない。
でないと損ばかりだ。

ガン闘病は、本当に勉強になることばかりだと思う。自分が学びたいと思った分だけ。