治療に耐えるには

やっと起き上がれるようになってきた。
この1週間、親や息子の介助無しではトイレにも行けなかった。
手足の痺れ、骨痛、加えて食欲もなくなった。
爪は脆くなり、剥がれて行った。

ほとんど眠り続けた。

全ての抗がん剤の工程を終えたが、主治医の言葉でいつも気になっている言葉があった。
抗がん剤は最後まできっちりやります。」

私は多分、体力があった方じゃないだろうか。
もし仮にギブアップしていたら、どうなるんだろうか。

こんなウェブサイトを見つけた。
http://www.gansodan.com/adviser/meyasu.html
漢方医のサイトだ。

しかし、予定した通りに2クール3クールきっちり出来るのは全体の大体60〜70%くらいなのです。残りの30〜40%の患者さんは有効性が判定される前に副作用で中断されるわけです。
つまり30〜40%の人というのはその抗がん剤が効くのか効かないのか分からないうちに中止されるのです。
治療については、色々な意見があるだろう。
一つ言えることは、患者にとってはどれが正しいのかわからない、ということだと思う
。 このブログの記事には、抗がん剤を少なくして治療しても、ガンは小さくなったという。
その結果に医師自身が驚いていたという。


主治医はいう。
抗がん剤を作っているのは、僕ら現場の下々のようなものではないのです。
もっと天才的に頭のいい人が作っています。

その人たちが決めた量を減らすなんて、あってはいけない。」

主治医は信念の人だと思う。
主治医の経験やたくさんの患者さんをみてきた上での発言だろう。

しかし、私はなにも準備無しで、ここまで耐えられただろうか。
私も漢方を服用していたから。

一般薬ではなく、私専用に調合してもらった。
それでもきっと、主治医は反対するだろうな。
友人は、健康食品を飲んで抗がん剤治療を拒否してなくなった乳がん患者を見て、西洋医学一本で行こうと決めたらしい。

何が言いたいか? これだけ医学が進んでいるのに、未だにはっきりと明確に、ガンの治療法がない、ということだ。
オーダーメイドの病気だし、ガンそのものが変化してるかもしれない。
ブログから読み取れることは、専門家ですらわからないことがあるということだ。

何もわからない患者に、何ができるだろうか?
歯がゆかった。

今の気分は、本当にこれで終わり?どんでん返しはないの?と、不安に思っている。
終わった。でも気は抜いていない。

いつも問われる。
「どう治療したいの?」
冷酷だ、と思う。
何故なら患者には地図を持たされていないからだ。
一片の地図を見せられるが、持たしてはくれない。
そして、その見せられた地図が、間違っているかもしれない。

自分でコンパスを確認し、方向を定める、どの進度で進むのかは、実際にはきめられないのだ。
それでも、最終責任を負うのは患者だ。
代償は、自分の体だ。
どんな副作用も、あるいは死ぬことも、自分の体をもってしてしか対処できない。

私には、いつもこの不安がつきまとっていた。
不確実な条件での決定しかできない。

仕方ない。
プロに任せることは、日常の仕事でもよくあることだ。

しかし、そこに関わってくる人たちの「関わり方」に誠意がないと、それが不満になる。
「あなたが決めることですよ」と言われることには、どうしても我慢出来なかった。

たやすく決められるなら、もうとっくにやってるよ。そう言いたかった。

主治医は、主治医の背中は、黙ってついてこいという。

TVのCMは、買った人が満足するために見る部分が大きいと思っている。
主治医を選んだのは全くの偶然だが、私は後からCMの様にもたらされる主治医の色々なデータを、満足して確認する。

主治医は私に「絶対見放さない」というメッセージを常に送ってくれたと感じている。
ともに戦う覚悟で治療してくれたと思っている。
実際には知らないが。
私がそう感じられたことに満足している。

医者にとって、私はいろいろ難しい患者だと思う。すぐ泣くし。
でも主治医だから信じれたと思う。
そして、誠意が感じられないという点で、担当の放射線医に信頼がおけない。
その点がこわいと思っている。

副作用に対抗するには、まず主治医のメッセージが一番の免疫だと、患者の立場から声を大にして言いたい。
それは、漢方医も同じメッセージを違う形で発信してくれていたのを付け加えたい。

絶対的な肯定感。
それは、食べ物や、漢方や、抗がん剤や、手術と言ったツールの前に、
患者にとって、命の綱なのだ。

もし私の周りに、新たにガン患者がいたら。
こう言いたい。
「あなたが悩み抜いた上での結論を、私は支持するよ。」と。