果てしない治療

今日は抗がん剤の日。
DOCにはアルコールが含まれるので、とても身体が重い。
酔っ払った感じ。
副作用はこれから出る。末梢神経の痺れが発現する。

私「先生、もっと楽にならないんですかねぇ。」
主治医「こればっかりはねぇ。仕方ないんです。皮もめくれて来ました?」
私「はい。手足の皮がめくれてます。」
主治医「あーそれはきついねぇ。結構でてるね。でも身体にはすごく効いてるから。」

主治医「FEC・3回、DOC・3回はかなり効くんです。特にトリプルネガティブに。データが圧倒的に違う。DOC100は相当きついけど、これで再発した人はほとんど見てないんでね。」

がん治療は常に暫定だ。
トリプルネガティブの治療薬も開発されているが、実績を重視すればいまの治療法が最適なのだろう。最良ではなくとも。

私「まぁ、辛いといっても私の抗がん剤なんて他の人に比べたら、大したことないんですよね。」
主治医「・・・DOCはねー。全抗がん剤の中でもきついほうですよ(笑)」
あり?そうだったの?
というわけで、この抗がん剤の副作用を我慢している私は偉い、という単純な結論を得た(笑)。

私「先生、TCっていう治療方法、取ってらっしゃる人もいますよね。」
主治医「そうですねー。(TCの説明をしてくれる)これも効くんですけどね。あまのさんの場合はFEC・3回、DOC・3回がいいです。結果が全然違うんでね。それと、量は絶対減らしてはいけません。どんなにきつくても減らしませんよ。これは命に関わることなんでね。」

そうなのだ。抗がん剤を減らすことは患者の命に関わることなのだ。
例え正常な細胞を殺していたとしても、がん細胞そのものを先に殺さなければならない。
がん細胞は、転移と成長の天才なのだ。

そして衝撃の一言。
主治医「抗がん剤治療が終わったら、1年後に脳のMRIを撮ります。」
私「・・・え?」
主治医「FEC・3回、DOC・3回は、体内にかなりの有効な結果を残していますが、脳には届きません。したがって、転移するなら脳です。そのために1年後脳のMRIを撮ります。」
私「・・・」(不安そうな顔)
主治医「脳に転移しても大丈夫。いまはサイバーナイフはすごい精度だし、焼いてしまえばいい。1年後に見るのはそのためです」

つまり、1年後に再発する可能性が高い、ということだ。
これは以前ブログに書いた、トリプルネガティブの再発率のグラフと一致する。

こうなったら乳癌だけではない。
改めて転移の恐怖を味わった。

私「先生、抗がん剤の開発って、製薬会社がするんですよね?医師の意見とかもいえるんですか?」
主治医「外科なんて頭よくないからねー。意見はもちろん言うけど。頭のいい医者は内科医や病理に行くよー。製薬会社の人たちはもっと頭がいい。」

そんなことないと思うけど(笑)。

主治医「製薬会社の開発はすごいお金がかかるんです。何千億って。なぜか。既存の抗がん剤に勝たなければならない(結果がよくないといけない)。だから最初から計算されつくして、考えされつくして作らないといけない。」

抗がん剤を作るには、どれだけの人の命と英知と努力とお金が必要なんだろう。
癌そのものが死に直結しないとはいえ、重大な病に変わりない。

主治医「治験も、日本の場合は無料じゃないから(200万とか300万とか?保険が利かないし)。海外の場合は治験が無料なんです。その代わり、契約書にサインする。途中で降りないようにペナルティが課せられる。だから海外の抗がん剤はデータがきっちりしている。そこで勝負してきた抗がん剤を、いま使っているんです。日本では治験データがちゃんと出ているとは言いがたい。仮に20人中独りでもドロップアウトしたら、結果が出ているとは言いがたい。」

もしかしたら、海外では治験に対する考え方や制度の運用そのものが違うのかもしれない。
そして、海外から抗がん剤を受け入れ、運用方法・データを参考にしている限り、ドラッグラグ(新薬開発後、患者へ投入できるまでの行政の規制による空走時間のこと)問題や、紛争や災害(今回のアイスランドでの噴火など)で輸入が出来なくなると医療行為そのものに支障が出る問題があることに、改めて気づかされた。

先進国では、『がん患者登録』が当たり前だそうだ。
そういったことからして、まず違うことを知らなければならない。


癌に一度なると、死ぬまでが治療と癌とのお付き合いなんだと、改めて思い知らされた。
お金もかかる。
そして精神が参る。

果てしない治療。私という命が尽きても、他の人が癌になる可能性は非常に高い。

こうやって、命に対して真剣に向き合うことって、やっぱりなかった。
がん患者になる前は、がん治療に対して、医療全体に対して無関心だったと思う。

でもこれは間違ってる。危険。
自分の身体を自分で守るには限界がある。健康なときならいざ知らず。
医師の力、看護師の力、薬剤師の力を借りなければ、当然死んでしまう。(治る、じゃないです。死ぬんです。ここ強調。)

あの日、1月29日、主治医が強引に手術日を決めてくれなかったら・・・。
胸をがばっと取りますが、「必ず治ります」といってくれなかったら・・・。
主治医を信じるに足る、そういう直感がなかったら今頃私は何をしていただろうか。手術から逃げ回って、本当に困っていたかもしれない。


私達、もっと自分達の生活に関心を持っていいと思う。
生活っていうのは、豊かに生きることだけでなく、何がベースになっているかって言うこと。

本当に生活がどういう風に成り立っているかを、本当は知らない。
そういうことが多い。