私のジョナサン・リヴィングストン
「相手に言葉が届かなくて良い。言葉を届けるんじゃなくて、相手を受け入れることが大切。相手が受け止めない自由を、自分が受け入れることだよ」
教えてくれたひとは、ゆったりと微笑んでいた。
孤独は、相手があって初めて陥る。
誰もいない孤独は、「誰」かがあってのこと。
暑い街角に、たくさんの人がいた。
献血の車が、いつもの定位置にあった。
とどまる人は数少ない。
私は抗がん剤打ったばかりだし、とても献血は出来ない。
若い人は一杯いるのに、誰も足を止めない。
いや、いいんだ。当然人には色々な事情がある。
でもこれだけ血液が不足しているのだから、なにか良い方法がないかしら?
たとえば20歳になったら献血が義務とか?(一定の条件の人、たとえば病気とか、はご遠慮してもらうしかないけど)
人に何か思いを届けるって、理解なんだと思う。
言葉では人は変えられない。
肌で感じて初めて変わる。
ならその届ける方法を変えるしかないのかしら。
孤独は誰かがあってこそ成り立つのなら、
愛もそうだよね。
孤独にならないようにするためには、相手を愛すことなんだと思った。
愛すって、自分の率先した行動なんだと。
冒頭の言葉を教えてくれて、ありがとう。
あなたは私のジョナサン・リヴィングストン。