『誰が日本の医療を殺すのか』読了

誰が日本の医療を殺すのか―「医療崩壊」の知られざる真実 (新書)読了。
是非これは日本に住み続けるなら読んでほしい。

これはツイッターで出会った本田宏医師の著書。
220ページの文庫本だが、中身はぎっしり詰まっているイメージ。
この本の内容を信じれば(信じているが、あえて。それくらい私にすれば衝撃的かつ納得のいくものだった。)、日本はかなり危機的な医療環境であるといえる。

この本で描かれる勤務医達が、主治医と重なった。

私の主治医は本当に忙しい。患者の診察にとどまらず、外科医なので当然手術、治療方針の決定、抗がん剤の量の決定・指示、入院患者の経過観察・・・私が見えているだけの範囲でも、忙しいことを感じていた。

入院中、主治医がガーゼを取り替えてくれるたびに、この人はいつ、休んでいるのだろうと思った。
休日も当然、主治医がガーゼを取り替えてくれた。
もちろんサブの医師が取り替えてくれることもあった。でもそのほとんどは、症状の診察ということもあり主治医がやってくれた。
主治医が週の半分以上は昼食を取れないことを知っており、休憩もほとんどないこともわかっている。

保険の申請のため診断書を書いてもらったのだが、主治医の記入が間違っており再提出になった。
私は主治医を責める気になれなかった。
いくら大きな病院で、カルテを書くのもデータ化されているとはいえ、主治医の負担を考えるととてもじゃないけど主治医が悪いとは思えない。

主治医だけじゃない。
看護師たちは皆親切だった。でも心が尽くされているかというとそうではなかった。(不満ではありません)
なぜか。
そんな余裕はないからだ。
本当に忙しいと思った。病院の設計も無駄のないもの、施設もおそらく充実しているほうだと思う。
でも忙しい。人がいないから。

がん患者は精神が不安になる。
生死の危険性もそうだが、今後の生活に不安があるからだ。
再発・転移は、がん患者にとって非常に怖いのだ。
私は今、自分の命は2ストライク3ボールの状態だと思っている。
再発・転移が一番怖いのに、そのリスクヘッジが出来ないからだ。
心の辛さや生活の辛さを、誰にも相談できない。
看護師に話せるのかな、と思ったけど、現実には無理だ。


主治医の代わりなる人も、看護師たちの代わりになる人もいなさそうだった。
いつか過労死する・・・大げさでなくそう思った。
そして、外科医になるということは、特別な人だけがなれるのかもしれないとも思った。
普通ではない。
精神・体力共にタフであること。
知識だけでなく、「手に腕がある」ということ。
指導力というか、ある種独断でやっていけるだけの行動力があること。
独善的といわれようが、患者を守らないといけない。そう思ってできる人じゃないと難しいだろう。


ある日、緊急入院する患者がいた。
看護師たちは急ごしらえでベッドを作っていた。そしてぶつくさ言っていた。
「今日は手術の日じゃないのに、明日にすればいいのに・・・」
これを聞いて、私は悲しくなった。
看護師たちの愚痴にではなく、看護師たちのあまりに過酷な状況に。

誤解しないでほしい。
もし余裕があれば、緊急度が高い患者に対して、もっと違う気持ちで挑めたんじゃないかと思う。
実際、看護師たちはその緊急患者に対して、誠意を尽くした対応をしていた。
超人的な忙しさをこなし、その上研修医や看護師見習いの指導。
看護師もまた、選ばれた人しかなれないんじゃないかと思った。

私は看護師が洗髪までしてくれることにびっくりした(知らなかった)。
確かに、冷静に考えれば独りで入浴できない患者の「看護」の範囲だとは思うが、ここまでやってくれるんだと密かに感動した。

勤務医や看護師、そして開業医の収入がこれらの超激務に見合っているかというと、そうではないと思う。むしろ少ないんだと思う。
そう思っていたら、見事この本の中でも書かれていた。愕然とした・・・。


そして一番驚くのが、国の施策、方針のなさ、官利しか考えていない態度、国民の置き去り。
医療費が先進国でこんなに低いと思っていなかったし、また正確なデータを国際的な場でちゃんと発表していないことにも驚いた。
よほどデータを発表することが、官にとって都合が悪いのであろう。
そのくせ、国民負担が先進国中で高いレベルという。
このデータは、本田医師の本を読んでほしい。


医療だけでなく、社会的弱者や事業失敗後のセーフティネットなども含め、福祉がこんなにも軽んじられている先進国もないだろう。
丁度この時期に第二次事業仕分けがスタートしたが、色んな意見もあるが情報が公開されていることはほんとに素晴らしいと思う。

入院中のありふれたがん患者を見たり、また私の身近な生活者(零細・中小企業で働く人々)を見ている限り、国から何かしらの享受を受けているように思ったことはない。
人々が立ち上がるための国であって、国のために人々が在るわけではない。


一人のがん患者として、今の医療政治の狭間では死にたくない。
あまりにも知らないことが多すぎる。

知らないことを放置していて良いのだろうか。
健康でなくなったら、「お上」は私を殺す。
そう思った。

私は「お上」に従って「現状で仕方ない」とは思いたくない。そんなのやだ。
たてつくとかじゃない。「自分に出来ることをしたい」と思った。
それはまず「知る」こと。

私は自分の命と健康を、今のところ国任せには出来ない。