メメント・モリ

毎日脱毛が激しい。
ついに完全に地肌が見え始めている箇所がある。
定量、満遍なく抜けていくというよりも、触れるところから抜けていっているようだ。
風が吹いても抜ける。

地肌の毛穴が見えている。
抜けるときに、枯れた毛根も一緒に抜けている。

私の地肌って、こんなに白かったのか・・・。
毛穴まで見えてる。
これほんとに生えてくるんだろうか。

母はしつこく、何度も聞いてくる
「これ、生えてくるよね」
私のほうが不安なのに、説明せねばならない。

抗がん剤治療完了後、1〜3ヶ月で毛が生えてくるらしい。
私の場合は秋ごろかな・・・

憎たらしいことに、白髪はなかなか抜けない。
白髪の髪をつまもうとしたら、普通の黒髪が抜ける。

ぱらぱら。
ぱらぱら。
そうやって抜けていくのを見ると、細胞が死んでいることをはっきりと感じる。
枯葉が落ちていくのを見て、生命の終わりを感じるのと同じだ。
私を構成する細胞が、死んでゆく。
私はまだ、死んでいない。
しかしこれは、私の命を縮める結果となっている現象に他ならない。

体液も溜まっている。
これが思った以上に痛い。
どうして主治医はこの前、失敗したのかなぁ。
そしてまだ体液が溜まるって、どういうことなんだろう。
「リンパ節の白血球が体を癌細胞、真菌、細菌、ウイルスから守っている。」
これを取ってしまった。癌に侵されているから。

これは私は、「2度目は無いんだぞ」といわれているみたいに聞こえる。

トリプルネガティブ。
調べれば調べるほど、「ネガティブ」になる。
予後が悪いとは再発率が高いということ。
再発することは「2度目は無いんだぞ」ということ。

また、癌は他の病気の呼び水になる。
治療内容もリスクが高い。
どの治療法にも発がん性があると思う。

脇が腫れると、右腕が動かせないし、右肩甲骨がかなり凝る。これが痛い。
体が不自由になると、心は陰鬱になる。
相変わらず胸はない。
1ヶ月たったら、動かせれると思ってた。腕のリハビリも本格的にしていいと思ってた。
だからこそ、我慢できた。
でもだめだった。
主治医にリハビリ科にかかることを相談したが、だめだといわれた。
そんなに酷いの?
傷口も腫れている。
治りが悪いの?
主治医は手術後しか抗がん剤は効かないといっていた。
それはうそだ。術前抗がん剤が標準になるとあるのに、術後しか効かないというのはうそだ。

知識と実地が私の中でリンクしない。こういう状況が一番苦しい。
深く考えることも好きだが、行動あってこそ、とも思っている。
体が動かせないことは本当に辛い。

体が不自由になって気づかされることは、愛・感謝・謙虚だけではない。
悲しいが、違うことも感じる。
他人と比べることではない。もっと根源的なことだ。
体が動かないだけで、遠からず死を連想させる。出来ない現象だけを捕らえているからではない。

「指導者もいない、教導者もいない、あなたに何をなすべきか教えてくれる人は誰もいない。この野蛮で狂った異常な世界には、あなた一人しかいないのだ。」
とは、ジッドゥ・クリシュナムルティの言葉だ。
彼も末期の膵臓癌だったようだ。
出典:Wikipedia
彼の主張は「理論を探求するのではなく事実を見つめること、部分ではなく全体を見つめることで問題が解決されるという。」
それには一人で瞑想にふけることが大事らしい。

私はまさに、この狂った世界の中に一人孤独にいる様を想像する。
癌、それから生と死という砂漠。
私が孤独であるということではない。また、孤独になりたいとも思っていない。

でもしっかりと自分の置かれた立場や解決策を練るには、好き嫌いや喜び悲しみの感情を超え、泣いても笑っても自分の今をしっかりと見なければならない。
良いところだけを見ているだけでは、次の一歩を歩くことは出来ない。

分かった上で、泣いたり笑ったりしたい。
医学知識をつけたいわけではない。
感情を何かで押さえつけたり、無理やり前向きになりたいわけでもない。
ただまっすぐ、自分と向き合いたいだけだ。

癌になったのも、トリプルネガティブなのも、確率の問題なんだろうと思ってきた。
それは、全地球に住む人間に向けられた、ロシアンルーレット
人種によりどの癌になるのかはある程度パーセンテージが違うようだが。
私はどうやら、弾の入った銃の引き金を引いてしまったらしい。
それも厄介なほうの銃だ。

再発率・10年生存率ともに悪いタイプ。
再発率は1〜3年以内がピーク。
そのことが知識としてだけではなく、体感として今感じていること。
「死」を意識し始めた。

余命10年としたら、私は何が出来るんだろう。
果たして10年あるのか。
最悪1年後だとしたら。
私が死んだとき、子供はどうなるんだろう。
今までも思ってたけど、今までと違うことはリミットの音が聞こえ始めた。

今どうしたいのか分からない。
治療にしても、生きることにしても。
治療はこのままでいいのだろうかと疑問に思う。
抗がん剤が効かなかったら、お手上げということだろうか。
よしんば生き残ったとして、私のこの命を何に使えるんだろう。
息子のために生きること、以外で。

これだけがん患者がいるのに、みんな傷ついてる。
互いに必死だ。
互いの傷を癒したいけれど、自分の事で必死だ。
そして取り巻く環境も人それぞれ。
当然私よりももっと厳しい環境の人もいる。
体の機能然り、家庭環境然り。

本当に戦場だな、と思う。
そして、不安に震えているだけでまだ何も出来ない自分を情けなくも思う。
弾は撃たれているのに、弾を打ち返すことが出来ない。
武器は肉体だけだ。思考は肉体を持ってして、初めて実現できるからだ。
肉体で感じて、経験になる。それが不自由な経験だとしても。
肉体がなくなってしまったら、死んでしまったら、何も出来ない。
出来ることは、いつになったら出来るんだろう。それも甘えかもしれない。自分で決めることだ。

死を前にして生を思う。
具体的にはまだ分からない。
いつまでたっても分からないのかもしれない。

思うにこの恐怖は、社会参加していないことも一因だと思う。
ただ自分のためだけに費やす時間が、最終的に社会にリンクしていないことが私には苦痛なのかもしれない。
社会的に何らかの形で結びつけることが、最終的に私の生きる希望になるのだろう。

今私は、社会的に死んでいる。
肉体的な死は、善人・悪人関係なく訪れる。順番も関係ない。人格は関係ない。
まるで誰かが、無差別にピックアップしているようだ。
私は半分、持ち上げられたのかもしれない。

しかし、どう生きるかは私の勝手だ。
死が私と息子を、私と社会を別つときまで、私は良い人間で居たい。
誰かにとって良い人間ではなく、私は自分の思う良い人間でありたい。
まだ何が結実できるかは分からない。
ただ、人が喜ぶこと、人が自ら立ち上がる手助けになること、私自身が立ち上がれる人間であること、困難があったとしても違う道を探せること、捌けること。そういう人間になりたい。

Memento mori メメント・モリ − 自分が必ず死ぬことを忘れるな。
Carpe diem カルペ・ディエム − その日を摘め。
神々がどのような死を我々にいつ与えるかは知ることは出来ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未来に希望を求めるよりもその日その日を有効に使い楽しむほうが賢明である
1日が一生であると思わない。
この刹那に生きよう。


生きることは、能動だ。
誰かに委ねることではない。


死を思うことは自分の生をシンプルにすることだと、やっと実感できてきた。
しかし本当は、まだ言い聞かせているのかもしれないが。