死の臭いがする
髪の毛がすごい勢いで抜けている。
すごい勢いだ。
毛が多い私でも、いつかは禿げるだろう。
正直、坊主にして良かった。
息子に多少でも気づかれるのが遅くなるだろう。
息子が私が坊主にしたときの、あの落胆ぶり。本当に怒っていた。
母親は美しくあらねばならないのだろう。彼の中では。
若く清潔感があるというのは、それだけで美しい。
それがどうだ。私は。
急速に衰えていっている。
鏡を見るのが苦痛だ。
肌も汚い。がさがさするのもそうだが、完全にくすんでいる。
シャネル&ストラヴィンスキーという本を読んだ。
今、読むべきでなかったかもしれない。
シャネルとストラヴィンスキーの恋物語だが、私はストラヴィンスキーの妻に感情移入した。
肺病を患う彼女・・・。
肉体的にも美しいシャネル。肉体と才能に魅了されるストラヴィンスキー。
ストラヴィンスキーの妻、カテリーヌには、常に死の臭いが付きまとう。
カテリーナからみた二人に対する気持ち−病人からみた魅力的な人間に対する嫉妬。自分の人生を奪われた気持ち。
彼女は病の体でありながら、自立する道を選ぶ。
苦しかった。読みながら、彼女のように気持ちを強く持てるか心配だった。
そして、美しいシャネルに対する嫉妬心が、痛いほど良く分かった。
病気だから、健康な人と比べても仕方がない。
そうかもしれない。
私は健康な人と比較しているのか・・・それもあるかもしれないけど、比較よりも、今の自分が非生産的で美しくないと思っていることが原因だと思う。
胸がない。
胸の傷にはまだ、ガーゼが張られている。
まだ感覚はない。
脇の傷はガーゼが取れている。
脇もまだ感覚はない。
そして、その縫い口は・・・酷いと思った。
私の体は、もう再起不能だと思った。
まだ傷口が膨らんでいる。でも触っても、感覚がない。
傷が痛々しい。
息子にもまだ見せていない。
いったい、いつになったら治るんだろう。
私の求めている治ったは、医学的に言う治ったと違う。
「思ったより」傷が浅いとか、他の人と比べてどうのこうのというのは関係ない。
縫い口が、激しく私の体に刻み込まれている。
傷が疼く。突然に。
どうしてこんなことになったんだろう。
もっと早く検診を受けるべきだった。
髪もどんどん抜けていく。
いつか私も無くなっていくのか。
異型の形になってしまって、自尊心を保つのは難しい。
それでもいい、と、思えるには時間がやはりかかる。
前向きでいようとすると、ある日突然ブチッと切れる。
自分がオーバーポジティブであったと気づく。
こういうときは、後悔の気持ちが襲い掛かってくる。
涙がぽろぽろこぼれる。
命は助かったというが、私はやはり、一部死んだことを改めて感じた。
こういうときは多分、仕事をしたほうがいいんだろう。
体を動かしたほうが。
何も考えないほうがいい。
そう思うけど、思うとおりに出来ない日もある。
鏡を見て、カテリーヌと同じように、死のにおいがした。
今日は、せめて、香水をつけて寝よう。シャネルじゃないけど。シャネルのように。
生きること、イキイキとしていること、あらゆる可能性がまだ、つま先立ちしている不安を消すために。