生きるにはお金が要る

今私は会社を休んでいるが、会社の特別の厚意に甘えている状態だ。
仕事をしていなくても家賃は発生するし、子供を食べさせていかないといけない。
私は離婚もしたので、一家の大黒柱状態。
母の手助けが無かったら子供はどうなっていたかと思うと、ぞっとする。

突然の重篤な病気で、それまでの生活を何もしなくてもキープできる人は多くないだろう。
闘病生活で一番頭を困らせるのは、何よりもお金だ。

ひとり親になって、医療費の面では随分と免除があるので助かる。が、医療だけでなく生活費の問題は、多分これから一生続く悩みになるだろう。
まず体を戻さなくてはいけない。今パソコンでこのブログを書いているが、まだ相当苦痛だ。長時間労働はまだ無理だ。
ウェブデザインの仕事では、右手でマウスを操作し制作していく。イラストレーターどころか、文字を打つのもままならない。


今じっくり考えると、やれ10年後の目標やほしいものリストなどを、自己啓発系の本に沿ってリストアップしていたけど、若い頃に考えていたリストアップのほうがここ数年のリストよりも、はるかに今の自分にあっている気がする。
荒削りだけれど、もっと純粋で自分に素直であった気がする。
ここ数年の自分は、何かにすり減らされていたように思うが、それは何かではなく自分に磨り減っていたのであろう。

以前は仕事や将来のことを考えるとき、憂鬱な気分になっていた。
自分で自分の可能性を狭く考えたり、出来ないことを心のどこかで思っていた。しかし、それを口にするのははばかられた。言ってしまうと、本当にそうなりそうだからだ。

思い込みとは、ネガティブでもポジティブでも良くないんだと思う。
理想の自分を掲げ、現実の自分との違いに憂う。そういう感情の行ったりきたりが自分をすり減らす。
ありのままの自分を受け入れるというのは、もっと違う。
事実に目をむけ、素直に努力する。そういうことなんだろう。


数日前にTVの報道番組で、横浜の寿という町の特集をやっていた。
関西のあいりん地区に似たその土地は、かつては出稼ぎ労働者の集まる場所だった。そして今は、仕事の無い人たちが最後そこで死んでいく場に変わりつつあるようだ。

私はその人たちに、自分の姿を重ねた。
一人の男性がインタビューに答える。自営業に失敗し、事業をたたみ、一家離散という経過をたどって行ったのだと想像する。
私は今自営業者ではないが、彼の言い訳を聞くと、他人事だとは思えないものがある。
彼と私に、中身の上ではそんなに違いは無い。



癌患者といっても、私はまだ末期ではない。広がる一歩手前で外科手術した。
今は目に見えない小さな癌を、化学療法で取ろうとしている。
まだ、生き残る可能性がある。たとえ化学療法で、5年か10年か分からないが寿命が縮まっても。
その間に、働くことが出来る。

そして私自身、不思議なことに治ると思っている。
もしかしたら、良く分かっていないのかもしれない。
冷静に考えたら、トリプルネガティブで、センチネル大に転移があって、浸潤癌で・・・と条件だけ聞くとまだどちらとも分からない状況ともいえる。
それでも、生きれると思っている。

余命があと数ヶ月といわれたら、どんな気分だろう・・・。
転移がありましたといわれたら、私は今のように冷静でいられるだろうか。
今、癌で必死に死と戦う人たちを思う。

人生は何が起こるかわからない。だからこそ、働かねば。だからこそ、生きなければ。


働くからといって、前のようには力まないでいたい。
復帰したら前以上に稼ぎたい。
お金ではなく、チャンスを、生きる術を、子供に残したい。
私を生かしてくれた、母や姉やその他友人たちに、恩返ししたい。

そのためには、やはりお金は必要だ。特に私にはもともと何も無いのだから、働くことでお金を得る必要がある。

以前のように誠実で真面目であれば良いと思ってたのでは、だめだなと今は思う。
誠意や真面目なのは基本であり、狡猾なのではなく、賢く立ち回ること。
知らないことは教えてくださいと、頭を下げること。

体を戻すこと。それは女であることもそうだけど、生きていくこととしても必須だ。
生きていくとは、生活をしていくこと。食べていくことだ。


今後については、具体的には考えていない。
しかしいずれは、やりたいことを実現化していきたい。

そのために体は出来るだけ以前以上に戻したいが、体が動かないのであれば、その分頭と心を働かせればよい。
知恵を働かせるには、私は心が大事だと思う。
大らかな心、突発的なことがあっても動じない心。

そして、いつまでも夜更かしせず、生活をコントロールし、少しづつ学んで習得していくことも必要だろう。
まずは自分の体のコントロールからだ。

そうすれば、いずれは誰かの役に立つような人間になれるだろう。

必要とされる人間であることも、生きることには必要だと思うから。