抗がん剤開始

3月3日、採血から始まった。

いつもたっぷり採られるけど、今日は白血球と好中球、血小板の数値を見るだけなので、赤ちゃん用の?採血だったよう。
(看護師が赤ちゃん用の針で採ると言っていた)

うちの病院では、抗がん剤を打つときは専門の看護師がいて、その人たちが抗がん剤投与すべてを担当する。
抗がん剤投与患者専用の部屋があって、一般の点滴患者とは隔離される。
専門看護師は一般点滴を手伝えるが、一般の看護師は抗がん剤投与を手伝えない。

これって他の病院でもそうなの?

私は今回、ガンになってビックリすることばかり。
仕事がきちんと分けられていて、次にやることが決まっていること。
たまに私はベルトコンベアに乗ってるのかもしれない、と思うほど。
ガンだけど、当たり前の病気ということ。
だから医師も焦ったりしない。
場数踏んでる医師たち。

採血が終わって、主治医のところへいった。結果は抗がん剤受けれるレベルなので、ガーゼ交換と水抜きの処置をしてもらった。
「FEC・DOCでいくっていってたけど、FECだけにするかもしれないよ」
こういう変更はよくあるらしい。

主治医には改めて、髪が抜けるのでもっと短くしろと言われた。
主治医に「息子が(髪抜けると)かわいそうですよね」というと、
「そうやねぇ。子供って、いくつかの人格があるでしょう。あれは大人になっていくにつれて統合されるんだけどね。トラウマがあると統合がされなくて、その人格だけ置き去りにされるらしい。それが多重人格の大人になるんじゃないかと、言われてるんですよ。」

主治医は珍しく、世間話をした。
そうか、やっぱり髪を切るか。

再び採血室へ。
抗がん剤投与室は、採血室の奥にある。

点滴を開始するとき、正直不安だった。
気持ち悪くなったらどうしようとか。
でも看護師たちは一般の看護師たちよりも優しい感じで、たくさん話しかけてくれた。
皆しんどいのをしってるんだろう。

最初にアレルギーを押さえる薬を、次に吐き気止めの薬を点滴。その後生理食塩水できちんと体に入れたのち、いよいよFECを投入した。

赤い液。
そして透明の液。

どんどん体に入っていく。
私の細胞を殺し、私の細胞が抵抗する。
たぶん気のせいかもしれないけど、抗がん剤を打たれてるそばから体が重く感じられた。


大体2時間くらいで終わった。
たぶん抗がん剤の中でも早い方だろう。
母とコーヒーを飲んで帰った。

帰ってからすぐ、近所の美容室にいった。坊主頭にするために。
「この雑誌みたいにやってください」
事情を言うと、すぐやってくれた。

家に帰ると、息子が帰ってきた。
帰ってくるなり、怒っていた。
「どうしてそんな頭にするの!?今度の参観、絶対こやんといて!!」
参観には元々いけなかったが、まさかそんなに怒ると思っていなかった。
だけど、大量の髪が抜けるのを、息子にはやっぱり見せたくなかった。

「お母ちゃん、カツラ被りたかったし、このほうがいいねん。」

わからなくてもいいよ。君が傷つかない方が重要なんだから。

その日以降は吐き気との戦い。
ずっと眠ってばかりだった。
体は戦ってる。


ところで、ひとつ思い出したことがある。
抗がん剤投与の前に、腹ごしらえをしろと言われたので、少しつまんだ。
席が一杯で、相席を頼んできた女性がいた。
その人は夫の看護でわざわざ遠くから通っているそうだ。消化器系のガンらしい。
「私もガンです」というと、少し驚いていた。
が、すぐに「あなた乳ガンでいいじゃない。うちなんか大変よぉ」という。

ガンになって一番思うこと。
自分も含め、人はやっぱり自分が主人公・自己中心なんだなぁと。
言わせてもらえば、胸を切ったことのない人に、この辛さはわかるまい。
抗がん剤を投与したことのない人に、この辛さはわかるまい。
この女性は、看護が大変だと言うが、本当に辛いのは夫であって、あなたではない。

この女性を批判するつもりは全くない。
同じ経験はしてほしくない。

ガンになってから、以前にも増してたくさんの人が私に感情をぶつけてくる。

人はわかってほしい、と思う生き物なんだな。
特に、自分が甘えられる対象に。
そして、往々にしてそれは怒りを生む。

なぜ、わからない。なぜわかってくれない。

相手がわかってくれるのが前提条件にあると、自分が不幸になる。相手も不幸にする。

病気になってもならなくても、わかっているひとはそうだし、わからないひともそうだ。

ガンが一つ一つの関わりを、浮き彫りにしていく。

私はガン治療という出来事に学んでいる。
治療が終わっても、体に傷が残るように、心の中でも忘れたくない。