ガンがもたらした視点−本能と、信じること

ここ何日間かで、何人と会っただろう。
そしてその都度自分の状況を説明することに、戸惑いと悲しみを覚えただろう。

友達が会いに来てくれるたびに、症状を説明する。
その作業は、思ったよりもつらい。そして、最後に思い出す。
「いつ死ぬか、分からないから」
その瞬間、背筋が凍って本当に涙が出そうになる。
そして、会えば会うほど「生きたい。生きて再会したい。」と心の底からそう思う。
(だから、私と出会った人は、遠慮しないでねw 嫌な時は嫌と言います)

このブログを立ち上げたときは、事実を受け入れることが難しかった。今も、胸を切らずに完治できるなら、と言う想いがある。
漢方で治るなら・・・そう思う。
漢方医は治す自信があるという。そしてそれを私は信じている。
じゃあなぜ手術を受けるのか?
それは心のどこかで危険性を感じているからだ。漢方にではない。
ガンに、だ。

本能が私に、これほど私を震え上がらせる手術を受けろという。
切らずにすむという私の個人的で「楽観的な希望」よりも、切って生き残る「痛みが伴うが確実性」を、心のどこかで求めている。

体が完全なまま、残りの短いかもしれない人生を歩むのか。
手術をしてでも、命を永らえたいのか。
これは無茶な二元論だ。そして滑稽で空虚だ。
なぜなら、どちらも分からないからだ。結果は誰にも分からない。
今言われている治療法も、完全ではない。常に現在進行形。
洋の東西医療に関わらず、去年最強といわれていた治療法も、今年になれば過去のデータとして扱われるぐらい医療技術は進んでいるようだ。

自分が何を信じ、どうするか、なんだと思う。
漢方を信じるもよし、西洋医学だけで良くもよし。
でも私は、ひとつだけという極論では解決しないと思っている。
理論ではなく、本能で。



ときどき胸のしこりを、こわごわ触る。
「あ、なくなってる!」という期待を込めて。
そして、触ってまた悲しくなる。
そこにあるしこり。私自身の組織。

このブログを立ち上げて、いつもどきどきしながら待っているものがある。
皆さんのコメントだ。
どんなことが書いてあるんだろう・・・みんなの反応が怖い。
暖かなエールが書かれていると、ホッとする。
書いてよかった。
でもこれが、批判的なことだったら・・・落ち込むかもしれない。

毎日思う。「みんなごめんね、実はガンがなくなったの。」って言えたらって。
でもなくなってない。
時々本当に現実なのか?と思うときがある。

思えば、ガンも「出会い」なのかもしれない。
仕事や人間関係で、人以外でも出会いはある。
いい仕事も、悪い仕事も、感情であってそれは事実ではない。
ガンも病ではあるが、良いか悪いかは別なのかもしれない。

私という命。
昨日のNHK大河ドラマ龍馬伝で、龍馬の父が言った台詞「命は使い切らんとあかん」というのが、今は沁みる。
漫然と生きてた命。
常に「何のために生きてるんだろう」と思う、甘ったれた考え。
人に受け入れられたいくせに、人のことは受け入れようとしない。
子供っぽいし、今もそういうところはもちろんある。

命ってなんだろう。
私の命に意味があるかもしれないし無いかもしれないなら、やりたいことを素直にやるほうがいい。
命が儚くなってから、命の尊さを知る。馬鹿だな。
意味なんか無いんだよ。だからやるんだ。

人が人と出会うことに、意味があるし意味がない。
だからこそ一人一人が大事。全体が大事。
中に入ることも、外から俯瞰で見ることも大事。

私、ガンになって「ガン患者であること」だけが重要なんじゃないって分かった。
それは一部であって、全体ではないんだ。どっちも私なんだ。
怖いこと、自分が重要であると思うことが、さも一番だと勘違いする。
だけど違う。
ガン患者だけど、普通に生きたい。
ガン患者だけど、笑って生きたい。
ガン患者だから、泣く時もある。
ガン患者だけど、他の病気の人の気持ちは完全に分からない。

そうやって、分からないから、想いあっていくんだ。
誰かが強者で誰かが弱者じゃない。
複雑に絡まりあってるんだ。
現に、こんなに怖いガンに対峙して、その存在によって気づかされること、出会いがたくさんある。

私だけじゃ気づかない。皆が私を作っていく。
私がみんなの中に入って、私も誰かの一部になる。
世の中って、改めて一人じゃ生きていけないって分かった。
こんなに人に頼って、甘えて、自分の心を開放することって今まで無かったかもしれない。

ガンが教えてくれたこと。
人を信頼すること。愛情って言うのは心を開放すること。
時に厳しい言葉を受け止めること。
偏見を持つのをやめること。極論は不毛なこと。

ガンを通して、言葉にして、皆に投げて、返してくれて。
私は変わっていっているのか、それとも元の私を取り戻しているのか。もうそれもいい。

とにかく私は、今ここにいるのがうれしいのだから。