身内でも解らない

今日は母と弟が来た。まあ心配してくれてるのはわかるけど、私はこれが嫌だなぁと思うのが、「黙って従っていればいいから」の言葉。

以前先生や親戚の漢方医に、任せなさい、心配することない、といわれて安心したとかいた。それは今でも嬉しいし、ありがたいと思う。でもそれは、得てして「患者は黙ってろ」に繋がりかねない。

医師を含め医療従事者は、最高のパートナーだ。でも、神様じゃない。だから、盲目的に信じてはいけないと思う。相手に依存するだけでは、もし万が一うまくいかなかったとき、相手の責任だと思ってしまう。患者自信、ある程度相手に身を任せつつ、しっかり自分自身の治療と向き合う方がいいと思う。

今医療事故が事件として顕在化するニュースをちらほら見かけるが、悪質な場合はもっての他だが、やはりある程度の自分での管理、ペース作りは必要だと思う。

方法も選択肢も、多い方がいいと思う。自分の担当医は、自分のスキル以上の事は当然解らない。私が仕事する立場であってもそうだ。先生方は最善を尽くしてくれるなら、それに呼応して自分も尽くすべきだと私は思う。

また、黙って看病されておけ、の言葉にもうひとつ感じることは、「貴方は非生産的な人間だから、黙っておけ」というニュアンスを感じざるを得ない。日本では、ひとたび重度な病気にかかると、とたんに社会からは時期飛ばされるような雰囲気があるように思う。特に一般的に理解されないような病気は。

ガンは克服できる。しかしその復帰には厳しい道のりが待っていると思う。
一度ガンが発芽すると、小さな目に見えない胞子は、全身にばらまかれている。そして、またストレスや生活が乱れ、免疫が弱くなると芽吹く。ガンは言わば「私自身に巣食う悪性植物」なのだ。植物の生命力はすごい。何せ根っこが私の細胞なのだから。

健全な細胞もろとも殺すのが、抗がん剤放射線治療だ。だからできるだけ「確率」が良くなるようテストされ、スキル・設備技術が高められる。

体を切った直後にしか効かない抗がん剤。(主治医がいっていた)
白血球がギリギリ下がるまでそれは打たれ続ける。その後放射線治療。これらは全身に飛ばされたガンの胞子を叩くための治療なのだ。特に乳ガンは乳腺という細い肉繊維にできるガンなので、転移が怖いらしい。

以下指摘部分にて訂正。(許可を得て転載しています)

外科的に手術をする→目に見える悪いところを切除。及び、おそらくがんが広がっているところを切除(リンパなど)。
化学療法(抗がん剤)→全身に散らばっている(かも知れない)がん細胞をできるだけ死滅させる。
で、指摘は
放射線治療→術後の局所に残っているかもしれないがん細胞をできるだけ死滅させる。
です。
放射線は、当てたところだけ効くし、全身に当てるわけではないので、「残ったがん細胞を、その場で叩いて、局所(胸)での再発と全身への転移を予防する」ために
するものです。

何がガンの餌になり、どんな生活に気を付けるべきか、これは再発防止のためにも患者が知らなければならない。生活するのは患者なのだから。

一番はストレスをためないことなのだから、患者に希望が持てるように、回りは気を付けてほしいと思う。私は非生産的だと言われるのは一番嫌いだ。傷つけられる。

小学校の時、ある障害者の女性の映画を見た。モデルさんだったが、事故に因り首から下の自由を奪われた。わずか24歳(位だったと思う)で。彼女は、当時婚約者だった夫に言っている。
「こんな体になって、非生産的人間だと認識するのが一番悲しい。死にたい。」
夫(当時婚約者)は
「やるだけやってみよう。もしそれでもだ目なら、一緒に死のう。」
確か彼女は、パラリンピックに出るまでに努力されたと思う。事故当初は指も動かなかったのに。
彼女の努力もさることながら、事故後彼女と結婚し、ずっと見守り続けた夫藻すごいと思うし、彼の存在なくして彼女は復活できなかっただろう。

私は手術のしかたなんて、さっぱり解らない。当然だ。薬も解らない。これも当然。
でも少し、母の「まな板の鯉でもいいじゃないか。従いなさい」という言葉には怒りを覚えた。
心配しての言葉というのはわかる。私が眠れなかったり、やつれたりしてるのを見かねての言葉だ。愛情から出る発言なのは、本当によくわかってる。

でも、最も聞きたくない言葉だ。

母の愛情はありがたく受け止めるが、私は自分の体を協力をあおぎながら自分で守り、近い将来社会復帰してちゃんと働きたい。

健康だから一般的、ではない。
社会は健常者のためだけにあるんじゃない。いろんな人がいるんだ。

病人だって、あるいは様々な障害を持ってたって、様々に存在意義はあるし生産的存在なんだよ。

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