ストレスが殺す

これは以前にもつぶやいた話。

今日買った本、「日本一わかりやすいがんの教科書」(下記リンクあり)の前半を読んだ。
生活習慣病であると書かれている。思った以上に遺伝はしないとのこと。そして老化現象であるとも書かれている。

私は空手をし、体力的にもそれほど虚弱というわけではない。また、食生活では肉食よりも野菜のほうが多いし、野菜もとりわけ安全な無農薬を求めて買っている。
子供を妊娠したと分かった10年前には、合成洗剤はすべて棄て、石鹸に切り替えた。

なににだ。

がんになった。

タバコは一時期すっていた。しかしツワモノから比べればそれほどヘビーだったとは思わない。
それに妊娠を機にやめた。

本に書かれていることに該当する部分は、生活習慣病のところだけなのだ。
つまり、ストレスだ。

本にはストレスとは書かれていない。
思うにストレスとは「心理的不満を解消するための不摂生」なんじゃなかろうか。

心理的な不満を解消しない限り、不摂生は直らない。
自分への不満、他者への不満。
私は相当不満だらけの人間だったと思う。

離婚も経験した。世の中をうらんだ。大変だった母子家庭。実家には帰れない事情もあった。

世の中すべてが敵だった。

誰も私を理解しない。誰も私を分かろうとしない。でも今なら分かる。
分かろうとしなかったのは私のほうなのだ。

今日本当は違うことを書こうと思っていた。
野菜のことだ。

ついったーのTLで、中国野菜のことをつぶやいた。実際言いたいのは中国野菜のことではない。

中国野菜が農薬が多いからだめだ、とか○○をたべなさい、とかまったく言うつもりはない。
「自分がいったい何を食べているのかを知っていますか?食べ物は体を作りますよ」ということが言いたいのだ。

最近ついったーでも報道でも、本当に気になることがある。
それは「仮想敵を作る」こと。
誰でもいいのだ、標的は。誰かを敵にして叩く。そういう風潮があるように思う。

それは、世間を恨んでいた自分が重なって見える。
自分の保身のため、不満解消のため、誰かを敵にせずにはおれないのだ。
少し気に入らないからといって、すぐ相手をなじる。
それが私だった。

相手を尊重できない私が、誰から大切にされるだろう。
相手を愛さない私が、誰が愛してくれるだろう。
そうやって、いつまでも心に敵がいるから、不満が解消されない。不満が解消されないからなおさら腹が立つ。

悪循環は自分で招いているところも大きい、と今なら思える。

30代女性。

これは思った以上にストレスがある。男性がた、分かっているようで分かっていない、と思ってください。
男性だってストレスがあると思うので、女性だけなんで?と思われる方もいるでしょうが。

私の経験上、30代女性は働きすぎだと思う。特に家庭を持つ女性。家庭を持たない女性も、社会進出によって、過度のストレスがたまっているはずです。
社会はまだまだ男性優位。変わってきてはいるでしょうが、それでも「女性に生き易い」とは言いがたい。

家庭を持つ女性なら分かるだろうが、家庭の運営は会社の運営と同じことだと思う。子供や夫のスケジュールを管理し、ご近所づきあい、親戚づきあい、両方の親との付き合い、そして仕事をもっていたら自分の仕事・・・皆の健康管理が先で、自分の健康管理は後回し。

(当然男性にもストレスがあることは分かっておりますので、ご不満をお持ちにならないように。)

そして女性は「比べられる」ことが多いように思う。自分が所属するすべてから・・・ご近所・料理・仕事・母親・家族というあらゆるカテゴリーで。

正直私はとても比べられたし、比べられることで私も知らずと心の中でランキングしてたかもしれない。
自分が有意なときは良いが、不利になるととたんにストレスになる。

今、私は・・・心の中で比べることも、卑下することも、不満をためることもしない。それはがんが見つかったから。
がんへの恨みはある。どうしてこうなったの・・・未だ一部思ってる。

でも、他者への気持ち・・・世界がいつも美しいことに、改めて気づかされた。
おそらく、私はがんの目が出始めた頃にはもうそう思っていたのだろう。ちょうどついったーを始めた頃だ。

今日私は、以下のようにつぶやいた。
「私たちは自分の存在意義を、他者と争うことで主張するのではなく、互いが互いを必要とすることで確認し合いたいと思う。争いは何も生まない。」

何のために争うのだろう。相手を負かして、何が得られるのだろう。一時的な勝利。でもその後、また争いが起こる。

争いは競争とは違うと思う。
競争は競い合うけど、その結果は本人たち次第なのだ。争いは・・・虚無だと思う。

虚無に巻き込まれないようにするには、自分で選ぶこと。率先することだと思う。
「自分で」えらぶ。
「自分で」かんがえる。
そこに相手は関係ない。

相手の責任にして、相手に怒鳴りたかった私。
誰か敵を探して、自分の不幸を誰かに擦り付けたかった私。

そういうストレスの循環が、結局私を殺したのだ。

今はそう思う。

人を憎む気持ちが、いつかは返ってくる。今私はその気持ちを回収しにかかっている。
お医者さんは技術の面でバックアップしてくれる。
でもこの体は、心は、引き続き私が、生きていくんだ。
心のほうの準備は、もう大丈夫だとおもう。
体を治そう。

今は大切な人が一杯いるから。