35歳、リバースデイ。

誕生日を迎えました。
そして今日、1月29日の告知から丸8ヶ月が経ちました。

この日を無事に迎えることができ、とてもうれしく思います。
ブログを読んでくださっている方、ツイッターで毎日言葉を交わしてくれる方、リアルの友達、家族。
みんなにお礼を言いたいです。ありがとうございます。


息子は、私のことをまだまだ心配しています。
私は、まだまだ不安に思います。
毎日が綱渡りのような気分です。
病気だけじゃなく、経済的なこともあります。
だけど、前よりもずっと、穏やかな気持ちでもあります。

私は変わってしまいました。
前と同じには感じられません。
穏やかな気持ちというのは、聞こえはいいですが、すこし人の感じがしないことでもあります。
前だったら動揺したようなことでも、全然動揺しなくなりました。
うきうきすることも、うれしいのですが心臓の音が聞こえなくなりました。
あまりにも、心の中の音が消えてしまったように感じるので、恐怖と共に喜怒哀楽を忘れてしまったのかと思いました。
もう、何にも喜びも悲しみも感じられないのか。
そう思っていました。

今日、息子のスイミングの姿を久しぶりに見に行きました。
私が見に行っているので、口には出さなくとも、張り切っているのが分かりました。
進級したばかりで、知っている友達はいません。
きっと不安だったし、プレッシャーだったでしょう。
でもがんばって泳いでいました。
入ったばかりの頃より、随分とうまくなっていました。
でも何よりも感じられたのは、彼は私の知らないところで、沢山の不安と戦っているということでした。

静かな音楽が聞こえてきました。優しい光が照らしてくれました。
彼が一生懸命、誰にも気付かないよう私を探している。
私に見せようと、一生懸命泳いでいる。

私は確かに変わりましたが、感動する心は覚えているようです。
また、目の前の小さな、でも確かに私を支えてくれる存在を、より強固に感じさせてくれるようにもなったようです。

前に感じていたことは実は感性ではなく、感情だったのかもしれません。
感情に任せて感じているふりをしていたのかも。
自分の事ばかりで、周りの優しい気持ちに気付けない人間だったかもしれません。
数年前、仕事でご一緒させていただいた物理の先生が仰っていた言葉を思い出しました。
「理性的とは、喜びすぎず、悲しみすぎず。」

理性的とは中庸の心そのものかもしれません。
35歳になって、そしてガンになって、ようやく大人の階段を登り始めたように思えています。

誕生日は感謝の日。
ありがとう、みんな。
ハッピーバースデイ、私。