癌は楽な死に方か
「死を目の当たりにしてどうですか。」
この質問は、患者にしてみたらとても辛い質問であり、おおよそ答えられない質問だろうと思う。
そしてこの国では、死というものがどんなにか身近でないのかを想像する。
子供への虐待や、親殺し・子殺し、安直な殺人、強盗、強姦・・・数え上げたらきりがないのに、ふだんの生活の中で「死」を感じることがほとんどない。
入院中、ネームプレートの横にしるしがあることに気が付いた。
たぶんそれは広議の意味のトリアージ(優先順位の識別)だったと思う。
緊急度は多分3段階。
赤、青、白。
私は白だった。
どれだけ転移寸前だったとしても、私は助かる命だったということだろうか。
青は重度のがん患者。
そして赤は、危篤状態の患者だった。
そして、青と赤の本当の意味を、入院中に知る。
重度患者はトイレにいけないひとだった(同室の人。消化器系癌と思われる)。
排泄は最初自力で出来ない。チューブをつけ、やがておしめになる。
そのうちおまるになり、徐々に自力でトイレに行くようにトレーニングする。
危篤患者は、意識があるのか分からなかった。
いや、多分ある。
でも日がな一日中、看護師の詰め所にずっと車椅子で座っていた。
夜毎鳴るアラート。駆けつける看護師の足音。
おそらく、もう手術することもかなわず、毎日死を待つ状態なんだろう。
私はリハビリのために毎日歩いた。私は、患者の中では一番若かった。
私が歩くたび、赤のマークがついた患者が、私を見る。
命の順番。
それを思って泣いた。歩きながら泣いた。ベッドでも泣いた。
いつか私にも、その番がめぐってくる。そう実感した。
まだちゃんと歩けないときだった。胸の痛みと戦いながら、ちゃんと歩けないことにへこんだときだった。
でも、まだ私には足があることに気づいた。
赤のマークでは、立つことも出来ない・・・。
リアルな死。
周りにもあったけど、私は逃げてきた。
こわかった。お葬式に行っても、悲しいというより、死に顔を見るのが怖かった。お骨を拾うことが怖かった。
今度は自分がそうなるかもしれない。
そして自分の周りに、明日そうなるかもしれない人が溢れている。
恐怖だったし、悲しかった。逃れたかった。
でもこういうプロセスを、自分の病気を知っていくうちに不感でいたくないと思った。
私の感覚は、死に向かってるけど、それは生を生きたいからこその死に向かう気持ちなんだと、この頃から思い出した。
癌は楽な死に方は出来ないだろう。
見ている限り、苦しそうだった。
痛みが激しく、鎮痛剤をずっと打ち続けてくれるほうがはるかにマシに思える。
それもやがて効かなくなり、痛みと共に死んでいく。
主要臓器が癌に冒されると、どんなに辛いか。目の当たりにした。
千の風に乗って、死後の世界、天国・・・。これらは生者が死を受け入れるときに使われるのではないだろうか。
私の見えている風景は、もう少し違う。
荒涼とした砂漠に、独り置いていかれた、私という生きる肉塊。
世界は素晴らしく美しい。しかし、同様に厳しく残酷でもある。
だからわたしは、どんなに汚く卑しい存在であっても、必ず生き抜こうと思う。
痛みがあったとしても、汚くなっても、おむつをつけてでも。
私が見た、赤のトリアージを印された患者たちもまた、必死で生きていた。
例え動けなくても。たとえしゃべれなくても。
目が「若く生きている」私をうらやましいと訴えかけていたように思った。
あなたが思う死とはなんだろう。
あなたもいつかは死ぬ。
それは想像が出来ないかもしれない。
しかし私たちは、同じ荒涼とした世界にいる。
世界は一つ。何もそこには変わらない。
死もたくさんある。楽な死に方はないだろう。恐怖しない死はほとんどないだろう。
あなたには、死が見えているだろか。
死が見えても、生き抜こうと思うだろうか。
※癌の症状については、千差万別あると思います。上記の末期がんと思われる状態については、私が見聞きしたものであり、全てそうなるということではないと思います。ご了承ください。