どんな治療も大変だ

朝息子が私の頭をチェックする。
「おかあちゃん、頭段々緑色になってきたなぁ」
緑…緑ではないんだけど…
まあええか。

今朝は、突然こんなことを言い出した。
「俺、今になっておかあちゃんがなんで坊主にしたんかわかった。髪の毛抜けるとき、髪長かったら怖いもんな」
やっとわかってくれたか、息子よ。

そして、保冷剤を詰め込んでいたら、「なんでそれ持って行くの?」
「胸を冷やすねん」
「え!胸を冷やすってことは、胸を先生に見せるってこと!?先生男やん!男に胸見せるの!?」
…息子よ、ゆるせ。母は息子の知らん男に胸をみせているのだ…事もあろうに、触らせているのだ。そして、切ってもらったのだ。
医者だからゆるせ!

放射線治療、もう何日目か忘れたけど…(たしか19日目かな…)随分だるさがでてきた。
なんで放射線治療で体がだるくなるんだろう?と思ってたけど、やっぱり体に多大な影響を与えるんだろう。
「しんどい」と自分で認めてしまうと、もっと体がしんどいように思ってしまうので、あまり考えないようにしていた。
それは抗がん剤のときもそう。
だから、用事も立て込んでいたし結構歩き回っていた。
だけど、体に影響が大きいことがわかったら、さっさと休むにかぎる。

闘病生活で身にしみて思ったことは、体を休めることもマネジメントなんだと。
自分のことをまだ病人だと認めたくないところがある。
でも一旦、体を痛めつけてしまったら、体という資源を大切にすることも、自分の仕事なんだ。
そう思うようになってきた。
その代わり、休めたら働く。
家事やその他いろいろなことがわたしをまっている。

闘病は、病気のことだけではなく、生き方自体を考えさせてくれるいいチャンスだ。

木曜は放射線医の診察がある。
先生に「やっぱりだんだんしんどくなってきました。」と笑顔で報告した。
「まあ、暑いのもあると思いますよ」
私は放射線が嫌だ、とは思っていないんだけど、もしかしたらそういう風に伝わってしまったかしら。
肌の状態は普通らしい。

昨日、息子が肌がかぶれて皮膚科に行ってきた。そこの先生は実はあまり好きではない。
話を聞くって感じじゃないから。(でも人気なのは、多分腕がいいからだと思うが…好きではない)
放射線医は、聞いてくれているし丁寧だけど、やっぱり聞いてくれている感じではない。
この「聞いてくれている感じ。」はとても大事で、それは「私がなにに不安を感じ、汲み取ろうとしてくれているか」ということだと思う。
乳腺外科の主治医は、一番聞いてくれている感じがする。
実際は聞いてないのかもしれないけれども。
聞いているとは、意見を取り入れてくれることでは決してない。
患者の意見なんて取り入れてたら、治療できないと思う。だけど、怖い治療を受けるのは患者。
その気持ちを汲み取ってくれようとしているかどう買って大きい。

いつも主治医の診察のときは、時間があれば無駄なお喋りで終わる。
しかし、主治医はいつも、嫌な顔をしないし、話に乗ってくれるのだ。