リンパ浮腫のセミナー

昨日はリンパ浮腫に関するセミナーに参加してきた。


講師の方は北福島医療センターの山本先生。とても優しそうだが各地で講演をなさる実力のある方だ。


さて、リンパ浮腫について、私は入院した時、さらっと説明をされただけだった。
お話を伺っていると、どうも指導された内容が古いようだ。
忘備録として以下にポイントをまとめておく。
※()付き?の部分は先生のおっしゃったことではありません。




リンパ浮腫とは
一次性リンパ浮腫:先天性(プライマリー)
二次性リンパ浮腫:外科やフィラリアによるもの(セカンダリー)
日本におけるリンパ浮腫のほとんどが外科治療によるもの。
海外ではフィラリアによるものが多い。


10〜20代が最も多い。(多分リンパが活性されてるから?)
10〜12万人以上居ると言われている。
女性が96.3%
乳がんが45%
子宮がんが42%


心臓から出た血液が、静脈に帰ってくる時、その10%がリンパ器官、リンパ管に入る。




分水嶺(ぶんすいれい) ←リンパ浮腫治療のポイント
リンパが流れる分かれ目。全身をいくつかに区分され、そこは左右上下どちらにも流れるようになっている。
例えば、胸中は正中にそって分水嶺があり、そこを境目に左右どちらにでも流れる。

左側にある場合、左の腋下に向かってリンパは流れるが、仮に左側のリンパ節を廓清した場合、リンパ節がないのでリンパ液の行き場が無くなる。
こういった場合、手で流れを変えることが出来る。これがリンパマッサージ。




癌治療におけるリンパ浮腫の発症率とその原因
上肢→50%が発症→再発率60%
上肢は乳がん患者がほとんど。
蜂窩織炎をきっかけとして発症するケースが多い。
(ちなみに私もこのタイプ)
この50%と言う率は、とても厳しい基準(多少の浮腫みではカウントされない)での発症なので、相当数の潜在的リンパ浮腫患者がいると推察される。
24ヶ月以内では50%〜90%とも言われる。
下肢→20%〜40%
下肢は子宮•卵巣がん手術患者、前立腺がん患者が多い。
0〜6ヶ月 29%
〜12ヶ月 33%
〜24ヶ月 31%
1年内にほとんどが発症する。
下肢は悪化すると治療が難しくなる。


このように、日本ではがん手術とリンパ浮腫は切っても切れない関係。




治療方法

  • 保存的治療(標準治療)
  • 外科的治療





いつ治療開始するのか(新しい発見でした)
手術前と術後に分けられる。
計測を主とし、段階によってはセルフリンパマッサージは行わない。

  • 0期 セルフリンパはやらない
  • 1期 セルフと弾性着衣
  • 2期 弾性着衣 後期になったら入院治療(通院では治療効果が出にくい)
  • 3期 皮膚科との連携をはかりながら治療

悪化した皮膚は不衛生な状況にあることが多く、更なる感染症を引き起こすことがある。
また、皮膚が硬化し、軽い屈伸でも皮膚の裂傷を起こすことがある。


基本的には安静にしていると炎症が収まる。
が、リンパドレナージュで改善を図ったとしてもせいぜい2時間でもどるとのこと。
筋繊維を動かしてリンパを流すことが大切→そのサポートとして弾性着衣を使用。




予防指導(ここポイント)
10年間言われていたことがエビデンスがなかった。
例)重いものを手術した側で持ってはいけない
乳がん患者にウェイトトレーニングをやらせ、やってない患者との比較をしたが、明確に違うという結果は出なかった。

    • 術前からデータを残す
    • 炎症を予防する
    • 早期発見





わかっていること

  • 感染症をきっかけに発症
  • 肥満体型は治療が難しくなる





リンパ廓清でどれくらい変化するか?
センチネルリンパ生検でも30%くらいは発症。




男性のリンパ浮腫
下肢が多い(多分前立腺がんが多いから?)
性器も腫れる(足を閉じられないほど性器も肥大する)




ポイントは以上かな。
とても充実した内容で、本当に勉強になった。


ガン患者で手術を行うとほとんどがリンパ浮腫を発症するのだなと、改めて認識を変えた。
病院では「おこるともいえるし、おこらないともいえる」と言う説明だった。
なんどもふれているが、癌治療は外科が主導していることが多く、外科では癌をとにかく切除し、進行を食い止めることが第一とされるので、リンパ浮腫の悪化による更なる感染症はおそらく注意しているものの(蜂窩織炎とかね)、患者の生活面でのクオリティと言う部分に関しては、なかなかそこまで手が回らないと言うのが現状だとは思う。


願わくば、リハビリテーションとの連携がもう少し進めば、患者としてもありがたい。
(まあホントは出来れば手術しないのが一番良いとは思うけど…)
私の言ってた病院も大きなリハビリテーション科があるにもかかわらず、測定等はしてなかったしね。


あと、肥満は全ての病気のもとだと思った…
乳がんリスクも高めるし、本当に注意しなければ。
というわけで、ダイエット宣言します。







経験は甦る

物事は違う側面から見ると、新鮮に感じることがある。


何となくクサクサして生活していたこの数ヶ月。
何となく見失った感があった毎日。
せっかく大学院に入ったのに、何をやってるんだろう。
もう正直毎日をこなすので精一杯で、その割には何の成果も出ていないように感じてしまって、ずいぶんと落ち込んだ。


勉強もしてるつもりで身に付いてるのか自信もないし、どうしたら良いのかなと思う日々には、体調もそこはかとなく悪く、何となく発熱したり、下痢したり、鬱々とした気持ちになったり。


精神的落ち着きのなさは、多分まだホルモンが正常化されていないのだろう。
鶏が先か卵が先か分からないが、まだ生理は来ない。
生理が来ないと言うことは、髪の毛も正常に発毛していない。
まだ細いうぶ毛のような毛髪が抜け落ちていくのは、本当にたまらない。
髪が生えてこないから余計にイライラする。
イライラするからホルモンが安定しない。
悪循環。


血液検査的には、排卵している。
でも生理は来ない。
一体、いつになったら元の身体に戻るんだろう。


私はまだ、元の身体に執着している。
前に戻れるとどこかで期待している。


いや、戻れない。
戻れないことが分かっているのに、期待することで自分を慰めている。


一度、完膚なきまでに絶望している。
でも絶望しているときの方が、前を向いている。
何も捨てるものがないからだ。


思い出した。
絶望したとき、私は全身の毛と言う毛もなく、本当に素っ裸にされたような感覚だった。
動物は毛が無くなると、何も防衛するものが無くなる。
おびえるって、こういう感覚なのか、と思ったものだ。
おびえていたからこそ、純粋に前を向いていた気がする。


なんだ、今は何か持った気になっているけど、何も変わらないじゃないか。
何も持っていないことに気がついた。
そして、とても安心した。
何も失うものがないことが分かった。


夜眠るのが恐かった。
今も眠るのが恐い。
でもあのときとはなんだか意味が違う。
今は、まるで、もっともっと与えてよ、というわがままな子供みたいな理由だ。


純粋に、命が危険に晒されていた恐さを感じていたあの夜は、
余計なものがない分鋭かった気がする。


心に贅肉がつきすぎてる。
あのときみたいな気持ちを、思い出せてよかった。




クロールがうまくなりたい

もうちょっとまじめに泳ごうと思っている。


最近太ってきた。
生理周期を元に戻すためピルを飲んだけど、アレはほんとにきつい。
初めて飲んだけど、内蔵を引っ掻き回されるような感じ。
ホットフラッシュとイライラ感がコントロールできない。
多分浮腫みも排出できないし、食欲を制することが出来なくて、一気に太ったのだと思う。
先進国の高学歴女性は低ピルを飲んで出産をコントロールすると言っていたのを聞いたことがあるけど、こんなことしてる方がよっぽど身体に悪いわ!と思った。よく飲めるなぁ…。
1週間でギブアップした。
ホルモン療法をしている人は、アレをずーっと続けるのかと想像した時、抗癌剤も大変だけどホルモン療法もじわじわとしんどさがくるなぁと思った。
婦人科の先生も、「多分ちょっとしんどいと思う」と言っていた。
一番量の少ないピルにも関わらず。


結局、生理は戻ってきていない。
もう戻らないかもしれない。


ところで、胸が片方激減しているので、ダイビングしたときは右側だけおもりを追加された。
右側から浮いてくるので。
胸って結構重たい。


ダイエットのためと、全身凝っているのでスイミングをもう少しまじめにやろうと思った。
右側が明らかに縮んできている。
縫った右の胸をかばって、肩甲骨が常に浮いていて(力が入っていて)右肩だけがあがっていて、それは腰にも影響がある。
歩き方もおかしくなってきた。


クロールがへたなので、この際マスターしたい。
そう思って本を買った。
ジムでもそういうコースがあるのだが、どうしても時間帯があわない。
まあ、どうしても下手な場合は、スクールも考えよう。


泳ぐのに大事なのは力を抜くことと、呼吸と力を入れるタイミングを合わせることらしい。
タン、サッサッ、タン、サッサッ と6拍で泳ぐのがベストとか。
これが難しい。
元々なんとか25m泳げてたクロールが、見事に崩壊した。
なので、徹底的にビート板から始めることにした。


みんなスイスイ泳いでるのに、ひとりビート板…残念な姿。
以前から気になってたが、他の人とすれ違う時、その影響で流されていった。
それくらい今力がないんだなと実感した。
右が縮んでいるので、まっすぐ進めない。どうしても右に曲がってしまう。
右をのばすのを意識してとにかくビート板。
今日はビート板。


30分間みっちりビート板。
今日はこれぐらいにしといたろ。
最後に自分へのご褒美と言うか、ビート板をがんばったので平泳ぎで2本泳いだ。
そしたら、不思議なことにスーーーっ…と今まで以上にうまいこと泳げた!なんでだろう?
手をかくときと呼吸と足が、見事にあっていた。今までの泳ぎ方は何だったんだろう?


スーーーーーっ…


今までの泳ぎ方は、基本がなってなかったからどこに力を入れていいかわからなかったのだと思う。
力を抜いて、必要な時に力を入れる。


基本をきっちりすることって、焦って一生懸命やるよりも時間も心も無駄が省けていいなと思った。


あと、ほんとに痩せないとやばい…。
いろんな意味で…。この理由はまた今度。



低空飛行で行こう

どうしても気分が乗らない時、何も気力が湧かない時、
多分ガン患者は、ずーっとこの倦怠感から逃れられないんじゃないかと思う。


気分があがったり下がったりを繰り返すと、「何も感じたくなくなる」ようになる。
感動も、うれしいもかなしいも。
自分のモチベーションをうまく保てない。


今日はお世話になっている方にものすごくおいしいお食事に連れて行って頂いた。
味は本当に最高。進化している味。
本当においしい。幸せ。
でも、本当に幸せだなと思ったのは、そのお世話になっている方と共有している時間だった。
攻めもしない、聞いてくださる、穏やかな時間。
お話もどちらかが一方的に話すのではなく。


本当は、泣きたくなった。
私は何でもっとがんばれないんだろうと。
なんでもっと、応えられないんだろうと。


「忙しいと言っていたら、一生を忙しくすごす。やりたいことはやるべきですね。」
と、さらりとおっしゃる。
気負いもなく、でもしっかりとお仕事をなさる。
本当にその通りです。心からうなづいた。


自分で進めてるつもりが、リードしてくださってる。
そういうものかもしれない。
一歩ずつ、ひとつずつ。


低空飛行でもいいから、飛び続けることが大事なんだ。
そう思ったら、すこし自分を許せると思った。


社会と心

私は今、経営を学ぶ為に大学院に通っている。


大学に通う理由を、ずいぶん前に書いたと思う。
http://togetter.com/li/106051
http://togetter.com/li/105880
まとめて頂き、ありがとうございました。
振り返れて、本当にためになります。


改めて振り返って初めて、「ああ、がんばったんだな」と思った。
そして、緊張していたのもわかる。合格したことが実感できなかった。
3ヶ月って、ずいぶん前なんだなぁと思う。1年前は遠すぎて逆に新しく感じる。


実際勉強して思うことは、癌というのは事業を興す中では一つの事象、理由であって、全てではないと言うこと。
世間的にはまだまだ関心のあることではないと言うこと。
経済とは、儲かるか儲からないかが継続できるかどうかの尺度であり、必要だから続けられるわけではない。


それはよくわかってる。
私はよく理解したのは、「仕事を作る、続けることは健康が第一でなければならず、健康はスキルの一つ」であると、日本社会ではしみ込むほど認知されてるのだなと言うこと。
はっきりと「ガン患者は雇えません」と言われたのも「ガン患者の面倒を見切れない」と言われたことも、とても私の心の中に重くのしかかっていた。
振り払うように仕事したい、もっと仕事が欲しいと思った。
社会に参加できる、一人の普通の人間ですといいたかった。
社会の中で「がん患者です」ということは、これ見よがしのように見えるのかもしれない。


ついに、切れた。
耐えきれなくなった。
言われた言葉が頭の中で何千回何万回響いただろう。
今でも泣けてくるけど、その場では泣けなかったし泣かなかった。


合格したことも、やってきたことも、全て色あせて見えた。
だんだんと人の顔が変わっていくのもわかった。
同じことを言う、同じところをループする、そういう私が嫌になった人もいる。
最初ありがたく受けていた協力も、徐々になくなっていった。
(もちろん、今も協力的で励ましてくれる人もいるが。)


世間は待ってくれない。乗っていけなければ忘れ去られるし、時勢や話題をつかまなければ「タイミングを逃したね」という一言で終わりだ。
心の中で乗っていけない、どうしても引っかかる部分があった。


さて、ここまで書いたことは、癌と言う言葉がなければ、ただの能力がないことを言い訳にした人間のいいわけに聞こえるだろうか。
癌自体、言い訳なのだろうか。


私は、そのどちらも考える。
きっとそれが、私が出来るがん患者の社会参加を促す事業の根幹になるのだろう。



定期検診の報告

昨日は定期検診の日だった。



私の癌は、遺伝子が理由でも他の何か起因するようなものが理由でもなく、突発的なタイプの癌だと、主治医にいわれた。



ガン患者の半分は鬱病になると言う。

私もきっと鬱だと思った。しかし違った。自律神経を失調していた。

まだ髪が薄い。それは女性ホルモンが足りないからだと思っていたが、血液検査ではホルモンは正常値に戻っていた。

でも、私の生理はまだ戻らない。

精神が不安なのは、主治医曰く「心因性ではないか」と。



愕然とした。自分の気持ちが体を追いつめているのかもしれない。

しかし、主治医はこうも言っていた。

「あなたが受けた抗癌剤治療は非常に厳しい治療(FEC、DOCを6回)なので、爪は戻っても髪の毛は元に戻らないかもしれません。」



本当に泣きたくなった。

失ってからその価値がわかるというのは、真実だと思う。

豊かな髪は、女らしさの象徴だ。

代替は効かない価値だ。自尊心が傷つけられた。



主治医に何度も何度も、頭髪のことを質問した。

主治医は

「騙されたと思ったでしょう」と言った。

確かに、最初にこの話はなかった。

主治医にとってガン闘病とは、何はなくとも命を危機から救うことであり、危機の予防であり、それ以外は2の次だった。

主治医は最善を尽くしていると思う。

でもそれは、私の個人としての人生を取り戻す方法には、少し足りないのも事実だ。



小さな不満が、心の中でちくちく刺した

育毛剤を使ってみてください」

主治医は多分、あまり効果はないと思われるであろうが、気休めにでもやってみてほしいといった感じでそれを勧めた。



もう戻れないことを感じた。

健康だけでなく、当たり前の女性らしさも。

主治医に、このゴールデンウィークに旅行でダイビング(主治医の許可をもらっていた)したこと、大学院に行ったことを報告した。

「よかったねぇ!闘病には何と言っても体を動かすことが一番です。」

「大事なことは楽しむことですよ。」

そして

「大学院に行くことは、あなたらしい」

とも言われた。



私らしいとは何なのだろう。

主治医にとって、私はずっと泣いている泣き虫患者だった。

私らしいとは本当に何なのだろう。

でもそれはもうどうでもいい。

今目の前の人が、私を肯定的に受け止めている。



不確実な未来は確実で、目の前の言葉は不確実で、それでも私が何かを選択しなければいけないのであれば、自分にとって不快なことを選択する必要はない。






二ヶ月間のお休み

この2ヶ月ほど、生きる意味が無いと思った時期は無かった。
仕事と、息子と、病気についての不安と、体調の悪さと、家族も含む人間関係の変化と、本当にめまぐるしく重くのしかかった。
病気のせいで息子に何かをいってくる人もいたし、私自身病気を理由に仕事を失った件もあった。
あなたの息子がひ弱だから悪い、とはっきり言われた。
ガン患者に仕事は任せられない、とはっきり言われた。
学校にいったら行ったで、息子を置いて勉強をしている苦しさもあったし、仲間についていけるのかどうかの焦りもあった。
学校に行く間、シッターにたのんでいることもあり、学業と経済的自立との狭間で本当に精神的につかれた。

昨日はやなせたかしさんの記事を読んで、とても感動した。
光を見た気がした。

アンパンマン」を創作する際の僕の強い動機が、「正義とはなにか」ということです。正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。なにも相手の国にミサイルを撃ち込んだり、国家を転覆させようと大きなことを企てる必要はありません。アメリカにはアメリカの“正義”があり、フセインにはフセインの“正義”がある。アラブにも、イスラエルにもお互いの“正義”がある。つまりこれらの“正義”は立場によって変わる。でも困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりません。絶対的な正義なのです。

「正義を行う人は自分が傷つくことも覚悟しなくてはいけない。今で喩えると、原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々がいます。自分たちが被爆する恐れがあるのに、事故をなんとかしなくてはという想いで放射能が満ちた施設に向かっていく。あれをもって、「正義」というのです。」

やなせ氏は第二次世界大戦では砲兵として中国に駐留していた。大東亜共栄圏の美名のもと「正義の闘い」だと信じていたものが、戦後、侵略戦争だと知った。「天皇陛下万歳」と叫んでいた者たちが「民主主義」に走り去っていく姿も見た。全ての正義が相対化されていくなかで、絶対的な正義とは何か考えていって、突き当たったのが飢えに苦しんだ兵隊時代の記憶だった。そこから「自分を食べさせて人を救う」ヒーローが生まれた。

この2ヶ月、私達の価値観が新しいものに生まれ変わろうとしている。
アメリカでも竜巻でたくさんの人が亡くなり、他の地域でも内戦や貧困により、たくさんの命が失われている。
個人的にも、環境の変化やギャップ、考え方の違い、自分を受け入れてもらえない出来事の連続で、とても苦しかった。今も苦しいのは変わらない。
自分の目標を明確にしたい、周りに負けたくない、馬鹿にされたくない。現実とのギャップが余計に焦らせたと思う。

私はとりあえず、手放さないといけないと思った。いろいろと。
考えもそうだし、今具体的にやろうとしていることもそう。少しでも嫌だと思ったことはやるべきではない。
「人はあなたのことを見ていない」と言われた時はショックだったけど、実際そうなんだろう。
誰も私のことなど見ていない。気にすんなって言われてるだけなんだけど、傷ついた。

このブログを再開しようと思ったのは、目の前のことを始めないといけないなと思ったから。
これで何を手放すって、周りに目がいくことを手放そうと。
周りを見えなくする作戦。運動もそう。ジムもやめようかと思ったけど、続けることにする。

もう一つはもう一度何がしたいのかを考えることと、そのために小さなことをすること。
この二ヶ月で感じた不条理と再発の恐怖。
何を言われることに傷ついたのか。
何を知ってほしいのか。
逆に私が知らないといけないこと。そして、出来なくても自分を嫌いにならないこと。
自分がしてほしいことを実現する為に、小さなことをすること。大きなことをするのは禁止。

多分また忘れちゃうんだけど。同じ失敗するんだけど。


最後に。
お家においでって言ってくれたり、話聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたり、無視してくれたり、イヤーな雰囲気にしてくれたり、ありがとう。(嫌みではない)
人の存在によってしか気づけないことがある。関わろうとしてくれることがありがたいです。
もう少しがんばってみます。